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No. 3-3 研究テーマ
【メリーベル加筆比較】問題をめぐって
―卯月VS小西・3年越しのメリーベル熱愛対談 part1―
その1
小西: | では【メリーベル加筆比較】問題について、今回は卯月と小西がだらだら語ります。この加筆比較しよう〜〜っていう悲願って、97年のニフティのコミックフォーラムの復刻祈願部屋(注1)で私が泣いていたのが発端でしょうかね…。でもあそこに卯月司書来なかったよね? なにしてたのだ? |
卯月: | なにしてたんでしょうね?ほら、私って「マニアな世界からは足を洗ったのよ」なんて気分でコミックフォーラムを冷ややかに(笑)見ようと頑張ってたからさ…。 その直後でしょうか? 熱いお湯にそっとつま先をいれたつもりが、どっぷりと肩まで浸かってしまって出て来れなくなったのは……あーたよね? 私の足つかんだの。 |
小西: | え・・そうすね、最初にレスをいただいたのは忘れもしない大島弓子話題。でもあのとき、もよ姉さまはひとりつぶやいてそのまま去っていったんだよね…。その次につかまえたのも大島話題……(笑)……これはまた違うところで話そうか。 ともかく、本題に入りましょう。では前口上を。 |
卯月: | え〜コホン。「メリーベルと銀のばら」が単行本発行時に大量に加筆修正されていることをご存じない方が多かろうと思いますが、その事実を知ったからとて、オリジナルとの比較に興味を持つ人がどれほどいるか?と言えば、そんなにいないだろうと思えますよね…(笑)。 私たちにしたって「雑誌掲載時の方が出来が良いから知って欲しい」とか、そんなことを考えているわけじゃぁありませんし。 そもそも雑誌発表時との比較自体が無意味だと考える人もいるでしょ? 好きなら勝手にやってりゃいいことを、こうやって公表したいっていうのには私たちが比較を「無意味」だと思ってないワケがあります。 「懐かしさ」という主観的なものから、「絵の変遷史」という学術的(?)なものまで、その理由は様々あれど〜 一番大きな理由は“世に出た最初の「メリーベルと銀のばら」を復元したい!” これですね! これは、みなさんの“頭の中”に復元するっていうことです。 なぜって、「メリーベルと銀のばら」の雑誌掲載時の原稿は現在、存在しておりません。 ですからいわゆる「復刻」出版など望めないのですよね……。 どして、元の原稿が存在しないのか、っていうと、萩尾先生は、単行本発行時に加筆する際、元の原稿に直接はさみを入れて、原稿を分断し、コマを切り張りして、修正なさったからなのです……このこと、どこで語っておられたんだっけ今思い出せないんだけど。小西さん覚えてる? |
小西: | これですがね〜、“元の原稿に直接はさみを入れて”っていうのは、私の知る限りでは、萩尾先生ご自身では当時は具体的に語っておられなかったと思うんですよ。だからこそ私は“元の版が残っているなら復刻してほしい〜〜”と最近まで泣いていたわけで。でも、98年5月31日、東京はLOFT PLUS ONEで行われた萩尾先生と佐藤嗣麻子監督とのトークライブ(注2)でお聞きできたんだよね。 |
卯月: | あーそっか、小西さんのロフトでの質問のお答えだったのね……「最近知った」ってことしか思い出せなくて(^^; 記憶力無いんだよね、私って……だから、メリーベルの比較を最初にしたのは、その質問より前だよね。 その時は、原稿の消失を漠然と疑ってはいたものの、知らなかったわけだけども存在してないとはっきりすれば、これはも〜雑誌掲載時を復元する意味ってのも大きくなるわけで! |
小西: | この質問というのは佐藤監督がパソコン通信で事前に募集されたんですが、私は全部で13個質問を用意して採用率60%で〜。その中で「メリーベルと銀のばら」に関しても下記のように聞いたんですよね。 Q:「メリーベルと銀のばら」の雑誌掲載時原稿(加筆前のもの)は、この世にもう残っていないのでしょうか? それが再びこの世に出ることはもうないですか? そして萩尾先生のお答えは、トークライブに行かれた方が教えてくださったには“当時の雑誌掲載のページ数におさめるためにネーム用紙にまとめた内容を削ったのだが、その削ったシーンが大切だったので、単行本化の際に作っていたネームどおりに再構成した。切ったり糊で貼ったりしたので、もう元の原稿はない”とのこと。 結論。 ないのよ……。 やっぱりもう既に雑誌版メリーベルはこの世にないのよ〜(T-T)。 |
卯月: | 元々雑誌発表時のものがページ数制限のために不本意にエピソードを削り、コマを詰めて描いた「仮」の作品だったとしても、それはその時の「完成品」であったわけで、読者は、それをそのままに受け止めて読んだのであるからして単行本の「メリーベルと銀のばら」とはまた別個の「作品」であったわけなのよ!! なのにそれを切り張りしただなんて……萩尾せんせ〜! この世から作者の手によって消滅させられた かの作品は、異次元に塵と消えたメリーベルの姿そのもの……(涙) さあ、呼び戻そう! ケイシイ・クレイバスの降臨術のむこうを張るあなたの想像力で、メリーベルの初出の姿をっ! |
小西: | (笑)さすがだ……力強いのぅ…… |
注1: | 97年当時、パソコン通信のニフティサーブ/コミックフォーラム/懐古館に「復刻版の部屋」会議室というのがあったのです。当時の小西はパソ通にはまって日が浅かったため、思い入れたっぷりに偏執な話をそこかしこで振りまいてました。 |
注2: | 98年5月31日、東京はLOFT PLUS ONEで行われた「萩尾先生と佐藤嗣麻子監督とのトークライブ―SANCTUS 萩尾望都の世界―」は、夢枕獏先生や萩尾先生のマネージャーである城さんも加わった3時間もの濃密なイベントとして、ファンの胸に刻まれています。その一部は、現在『新宿歌舞伎町ロフト・プラスワン/トーク集トーキング・ロフト 3世 VOL.1』(発行:LOFT BOOKS 発売:銀河出版 1999年5月10日初版第1刷発行 定価950円+税)で読めます。会場でのオークション品であるCD-ROMに描かれた(孫の)オスカーのイラストの写真も採録されています。 |
その2
*これについて「加筆予告を見た記憶がある」という方がおられましたらメールください!!!(司書)
卯月:
さて、リアルタイム婆さんがまたもや昔話を……と言われそうですが(言うって)ポー・シリーズ連載時のことをちょっと(ちょっと?)語らせていただきましょうか。
“怪奇ロマンシリーズ”と銘打たれた「ポーの一族」から「小鳥の巣」までの11ヶ月に渡る連載の毎回の途中ページに、萩尾先生自らによる「次回予告」が載っておりましたのです。
単行本では、その予告は当然ながら削られてますが、片鱗は探せるかもですね。時には手書き文字でのCMもはいってたりして、別冊少女コミックの発売日の毎月13日に本屋に走り買い求めては読んでいた読者達は、その予告のコマを見るだけでもわくわく嬉しくて。様々な想像を巡らしながらまたひと月を過ごしたものでありました……。
小西:
そうだよな〜司書様はポー・シリーズ・リアルタイム様だもんな〜。「小鳥の巣」最終話(それも古雑誌)の女・小西とは違うんだよな…。
卯月:
まぁまぁ羨ましがらずに(笑)。ポーとの出会いというのは、また違うところでってことで置いといて。「次回予告」の話よ。
さて「メリーベルと銀のばら」第一話中にあった第二話の予告には、黒い髪の少女が描かれておったのです。
「この少女はだれなんだろ?どう絡んでくるんだろ?」
ところが!……二話にも三話にも、ヒトコマも登場しなかったのだ、黒髪の少女!
ただエドガーのモノローグの中で、彼がバンパネラになって最初に襲ったのが母親と二人暮らしの黒髪の少女だったっていうのがあるだけで。(ユーシスを誤って傷つけた後のセリフね)
それから一年後の74年に小学館が少女漫画初のコミックスを刊行することになって、第一弾の萩尾望都「ポーの一族」の発売が華々しく少コミ誌上で宣伝されたよね、トーマの連載中だったから、この辺は小西さんもばっちりリアルタイムでしょ。
ところで、その頃、第2巻に収録される「メリーベルと銀のばら」には、連載時に描ききれなかったエピソードを加筆しますっていう情報があったように私は記憶してるんだけども、これがどこに載ったのか具体的なものが示せないのよね…小西さんわかる?(こればっかだ…。記憶力も記録力もないからなぁ……)
フラコミ1巻に2巻のCMページなかったっけ?そこに書いてあったんだっけ?
小西:
え? いやー記憶ない・・私の本にははさかってない(方言)……週コミの予告じゃないかな…わからん…。フラコミの1巻には予告はないよ〜〜。2巻には、3巻のCMはあるけどね。
むーん、この発売前の週コミをチェックせねばいかんのか!?
ええっと、2巻は昭和49年7月1日発行となっているのですが、6月20日発行だったわけよね…。と。
調べました。しかし、このフラコミ1巻発売前〜2巻発売後の週コミ・別コミには、“連載時に描ききれなかったエピソードを加筆して発売するという情報”は見あたらないぞ!!?
うーん司書様いったいどこでその情報を…もっと前にさかのぼって検索した方がいいのか? ところで74年27号ではフラコミ2巻の発売予定は6月20日なのですが、28号(6/14発売)では6月30日となってます。もしかして遅れたのかな。次の号では絶賛発売中、ですけどね。
卯月:
あぅ・・私の「夢」だったのか…!?ファンクラブなんかにも入ってないし雑誌以外から情報が入るわけないもんなぁ……ううむ?
えー、と、ともあれですよ。私は「きっとあの黒髪の少女が登場する! 読めなかったお話が読める!」と確信し期待して2巻の発売を待ってたわけですよ! そしてついに2巻が発売されます。
最初からがんがん加筆されてページ数が増えてます!
加筆部分は明らかに絵もペンタッチも違います。
でも、そんなことより新しい物語が読めるヨロコビに打ち震えつつ、『ポーの一族』第2巻を読んでいきました……。
ところで、私どっちかっていうと、コミックスのタイトルのさ『「ポーの一族」第2巻』っていうののほうが気になってたかも。
「メリーベルと銀のばら」だろ〜?って……
戻って、で、どういうふうに書き足し作業をしたんだろな〜?と不思議で仕方なかったんだけど…、ほら元は白かった箇所がベタ塗りになってたり、なんかあったから、元々の原稿を汚さずにどうやってこんなことできるんかな?って。
でも、シロウトにはわからんでも、当然「漫画家」や「出版社」っていうプロには出来るんだろうと信じてたし…いや、そう信じたかったというべきか。
でもまぁ堪能したと言えるね。だって雑誌連載時と、単行本発売時、二度楽しめたわけだから。
小西:
そうかーそうだったのね。私は違うな〜。絵が微妙に違うためにどうしても加筆部分が気になって気になって(笑)。心の眼がなぞるのだ・・雑誌版を・・・。偏狭な中学生だったもんでね〜。ごめんなさい先生。お話が増えているのはめちゃめちゃうれしいんだが、あそこもここもそのコマも延ばされてる接がれてる、というのが異常に気になった私でした。それがほとんどない分、1巻や3巻は気持ちがラクでしたが・・。しかし、コミックスのタイトル、私も同感でした〜〜(笑)。
そうだよね、『ポーの一族』2巻というのは唐突に感じた……
っていうほど、最初の刷り込みが激しいものだったんじゃないのか?
とにかく、初出主義にならざるを得ないほど、萩尾衝撃は激しすぎたのよ…ホントに
ねえ…。
◎後日、司書は同い年の昔の漫画友達二人に連絡を取って加筆情報を見た覚えがないかと尋ねてみた。すると〜・・「私は知らなかったから単行本読んでびっくりした。どこで知ったの?」と。うぅ・・この方々は私よりずっと古い漫画をしっかり覚えておられるのだからして…。やっぱ夢?というか年月が経つうちに、経験の前後が入れ替わって記憶されちゃったってやつかな……ははははは(笑えん)。
その3
でもさあ、ネームは連載開始前に出来上がっていたのかも、とか、原稿の速い萩尾先生だからどこかの時期にまとめてあがっているかも、とかいろいろ疑問がありすぎてね〜。全然確定できない・・私はこの調べを始めてから、73-74年のペンタッチが異常に好き!!!という自分の中での年代確定がゆらいじゃったわー……(笑)。
卯月:
そもそも「メリーベルと銀のばら」は、ページ数の制限のためにエピソードを削ったっていうことになってますが、その制限とは何だったんでしょうね?“怪奇ロマンシリーズ”の連載は、毎回31ページだったので、当然ページ数の制限というものはあるわけですが……。
実は、連載開始時の「メリーベルと銀のばら」第1話の扉には「4回にわたってお贈りする」とあおり文句が書かれてるんですよね。それが第2話の時にはもう次月の第3話が最終回ということになってまして。
小西:
まあ〜〜そうだったの〜〜。(見る)ホントですねそうなってますね…。第2話の柱の予告で“次回は最終回”だわね。
卯月:
当初は、他の二つのお話(「ポーの一族」「小鳥の巣」)と同じく4回の連載として構想しておられたんでしょうね。特に、第2話には単行本で加筆した部分=バンパネラとなったエドガーが初めて人間を襲うエピソードが入るはずだったんでしょう。だから、予告カットに黒髪の少女を描かれたのだと思うんですが(このカットの少女はクリフォード先生の婚約者ジェインに似てる)ごっそり抜いちゃった。
小西:
つまりそれは、第1話と第2話の間に、萩尾先生に何かが起こったと予想されるというわけだ?
えーと、ちょっと時期的に見てみると、72年の11月末あたりに第1話は脱稿されておられて、その時点では4話分を描くおつもりだった。第2話執筆の時点で、それが変更されたためにそこからエピソードを抜いて残り2話分でまとめた。そういうことでしょうか。
確かに“加筆状況リスト”を見ても、第1話は+12ページ、第2話は+35ページ、第3話は+20ページ、と、第1話より後半部分の方が加筆はだんぜん多いんですもんね。
たとえば第1話と第2話の具体的な追加エピソードをおおまかに拾ってみると、
【第1話】の追加
・エドガーは村の人々のバンパネラ退治を覗き見する。おいてけぼりのメリーベル。これは全4ページ。
・エドガーは男爵からシーラとのなれそめを聞く。これは約2ページ。
【第2話】の追加
・黒髪の少女関係。フラワーコミックス『ポーの一族』第2巻によれば、P62〜P77の19ページ分がそれにあたる。
これ以外の部分は、基本的には各シーンを丁寧に描写していく目的だと思うんですが。しかしね、第2話の連載時原稿って、特にジェットコースターなんですよね〜。
とにかく圧倒的にこの雑誌版の方はその語られるテンポの良さが素晴らしいと思われませんか〜。
萩尾先生のあの頃って、吹き出しと地の文(語り、もしくは登場人物たちの思念)が縦横無尽のコマ割りとともにミックスするところがとっても新しくて、ただただ見ほれているだけだったのだけど「メリーベルと銀のばら」の雑誌版はその作画技術というか、表現形式というかが“名人芸”的になってるんですよねー。
もちろん、加筆されて完全版になったことで物語的には膨らんでいるし、読みやすさや読みごたえは当然のことながら単行本の方が完成度は高いでしょう。
しかし。
加筆ナシ全93ページのメリーベルは、萩尾先生のあふれる描きたい気持ちが画面から伝わってくる、迫力あふれるものだった。
とにかく、コマがね、割って割って割りまくるというか、その背後にある思いとか、物語とかが、がーーーーーっとくるんですよね!!
それに、それぞれ回の導入が素晴らしいんだよね〜。
前作の「ポーの一族」からのスタイルである、何頁か先にあっての見開き扉表紙っていうスタイルが、見事に活かされていてねえ。ドラマに入っていくときにこれがすご〜〜〜〜く効果的だったんだよねーー(溜息)。
卯月:
話がずれてますが、わかるわかるあなたのその気持ちは(笑)。
これもね、当時(今もか?)とっても珍しかったですよね。例えば100ぺージの読み切りとかなら扉がくるまでに3pくらいプロローグがある、って構成はあったですよ。しかし、31pでね、導入をこれほど長くとり、しかも見開き扉ってのはとっても珍しかったと思うね。(注3)
読んでいても31pとは思えない長さを感じてたけど、この構成の効果もあったんじゃないかなぁ?
そうそう、見開き扉のことではもう一つ、この第2話の扉はどこにも収録されてないんだよね。エドの目のアップ、馬で急ぐオズワルド、素足で踊るメリーベル、顔をおおう伯爵夫人、ユーシスの憂い顔、木陰のメリーベルとオズワルドのシルエット……などなどドラマチック盛沢山のイラストー!(^^)。
小西:
今にして思えば、このメリーベルの割って割って割りまくるコマ修行が、萩尾先生の作風の洗練度を飛躍的に高めたのかもしれないね。だって、シリーズ次作の「小鳥の巣」の線や画面構成って、メリーベルとまた全然違うもんね〜。その前の「ポーの一族」から比べると歴然とその差と変遷があるからねえ…。
卯月:
あー、では、ずれまくってる話を元に戻して(画面構成は任せる>室長)。
さて、なぜ4話として構成していたものを、1話分削って3話にしなければならなかったのか? ここに大胆な仮説を出してみませう(笑)それは、萩尾先生が生まれて初めての海外旅行に出ていたから……! ではないでしょうか?
小西:
おお!? 新説ですね!!?
卯月:
この旅行っていうのは、72年の秋に萩尾先生が竹宮惠子先生、山岸凉子先生、増山法恵さんと共にヨーロッパ各地を回ったものなんだけど、「ポーの一族」連載中の別コミに“出かける前に「ポーの一族」に対決”という近況記事があり、「メリーベルと銀のばら」第1回の予告カット(ポーの一族第三話の中 別コミ72年12月号)には、“9/15モスクワ行きの飛行機の中でこの原稿を描いている”という手書きの記述があるのよね。
(ポーの一族最終話自体を旅行先で仕上げたのか、予告カットだけを旅先から送ったのか?)
また「メリーベル〜」は“ヨーロッパ各地を移動しながら描いた”という記述も、「メリーベルと銀のばら」第1回掲載時の別コミの近況記事にありまして。
というわけで、強引に考えれば、編集サイドで回数をカットされたというより、萩尾先生が旅行に時間を割いたために一回分減らした……なんていうのはもちろん私の勝手な勝手な勝手な憶測。
小西:
えええ〜〜〜〜っ。
しかし、それは、回数を減らしても次作が控えてるから関係ないのではないの?
どうなんだろー。すごく気になる〜〜。気になるけど、即・検証できない……。
残念だああ〜。
確かに旅行のことを考えると、アシストに竹宮先生や山岸先生が確認できるのは、納得できるぞ! スゴイぞ!
しかし、一回の旅行で連載一回分減らすというのはいまいち説得力がな。萩尾先生がそういうことを提案するかな?(笑)。それよりも、「小鳥の巣」の終わりを7月号(73年6月脱稿)にするためにどこかで1話抜いた、ってのならわかる気がするけどなー。
ううーむ?
卯月:
あ……編集にプッシュしてプッシュして連載を勝ち取った萩尾先生が自ら連載回数を減らすなんてこと……なさるわけないか。それを失念してました・・でも、ほら、初めての海外だよ、72年当時だよ、すごいオオゴトだよ〜?(笑)それに、ポーの最終話を海外で仕上げて送って、旅行しながらメリーベルの第1回目を描いていたとしたら、帰ってきた頃、ページ数削減の話になって、帰国してから描いた第二話が、小西さんいわく「ジェットコースター」になってしまった……と時期もマァ合うし。合うとはいえ、旅行がどうこれに絡むのかは……確かに分かりません。無謀な仮説でしたか(ちゃんちゃん!)。
小西:
じゃあとにかく、今ある情報をまとめてみましょう。旅行日程と原稿作成時期の推測は下記。
「ポーの一族」第1話 9月号8/13発行(72/7/19脱稿)
「ポーの一族」第2話 10月号9/13発行(8?脱稿)
「ポーの一族」第3話 11月号10/13発行(9?脱稿)
◎ヨーロッパ旅行 9/12から一ヶ月間(10/12頃まで?)
「ポーの一族」第4話 12月号11/13発行(72/9/15脱稿?)
◎この回の予告に「9/15モスクワ行きの飛行機の中でこれを描いている」という記述あり。
「メリーベルと銀のばら」第1話 1月号12/13発行(11?脱稿)
◎このネームとペン入れ(?)を旅行先でしたのか?
◎この時点では、4回連載の予定であった。
「メリーベルと銀のばら」第2話 2月号1/13発行(12?脱稿)
◎この時点では連載は3回に縮まっている。
「メリーベルと銀のばら」第3話 3月号2/13発行(73.1-2?脱稿)
◎先の研究にてこの第3話脱稿の日付を(73.12とあるが73.2の間違いでは)と記したが、これは萩尾望都作品集の日付が73年12月とあったものによる。しかし、もしかして、72年12月の間違いか? 謎は深まる。
卯月:
もう一案なんだけど。最初から11回分しか枠をもらっていなくて三つのお話の中でメリーベルで削るしかないってことで、最初から3回連載で考えておられたのかも?っていうのは、どう?
つまり、「4話にわたってお贈りする…」というのはミスプリ……(ばしっ)
注3:
「萩尾望都作品集 CD-ROM DIGITAL GALLERY [sanctus]サンクトゥス 〜聖なるかな
聖なるかな 聖なるかな〜」(発売・販売:バンダイビジュアル株式会社)に収録された“ポーの一族に関する萩尾先生自身のコメント”では、“このシリーズはすべて見開き扉でいこうと決めていた”と語られている。このシリーズというのは、第一期のポー・シリーズ3部作を指していると思われる。
●この対談の内容は、あくまでも「図書の家」研究員の個人的な思い入れの産物であることをご了解ください。
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図書の中庭までお寄せくださると嬉しいです。
対談・構成:卯月もよ、小西優里 / 作成日:2000/5/15
別ページで「メリーベルと銀のばら」の加筆部分の検証をしています。
そちらもぜひご覧ください。
File No. 3-1 研究テーマ
ペンは走り、コマは割られた!
萩尾ジェットコースター版“メリーベルと銀のばら”
〜「メリーベルと銀のばら」加筆検証を通して萩尾・画面構成の魅力に迫る〜