最終更新:2000/4/16

File No. 11 研究テーマ
萩尾望都:母と子の物語り --02

【1970年代作品より】

母と子の関係が物語に関わっているものをざっと見ていく。

case01 『ケーキ ケーキ ケーキ』(原作・一ノ木アヤ)
1970年 インテリの夫婦の3人娘の末っ子に生まれたカナ。両親は娘達がインテリの娘らしく育つのを望み、上の二人はその望み通りになっているが、彼女だけが両親に認められないみそっかす。ケーキがただ好きだったカナは本当の美味しいケーキに出会い、作り手に回りたい、と願うが、その望みは両親には分かって貰えない。
ケーキ職人など女の子らしい職業ではない、ケーキなど嫌いだという父親のセリフや”親って思ったほどこどものことを分かってくれないんだな”というセリフはストレートに親と子の確執を出している。
この物語の”ケーキ”を”マンガ”に置き換えると、そのまま作者自身の親との確執につながっていく。最初はコメディタッチだった物語が、次第に重いテーマ性を発揮していくのも自然なことだったのかもしれない。
真に美味しいケーキの理想を追求していくカナの姿は、少女漫画の可能性を切り開いてきた作者に重なり、彼女に”真のフランス菓子”を見せた青年は手塚治虫や石ノ森といった先駆者の姿にも重なっていく。
*原作者とはラストについて齟齬があったという話もあるが、描かれたラストの方がより深く、現実味があるように思う。
☆理解のない母

case02 『ポーチで少女が小犬と』
1970年 少女がポーチで小犬を相手にいろんな想像を膨らませ、雨や虹を楽しんでいる。
そうした少女を大人達が奇異な目でみる。そして抹殺。
この作品では存在を否定された少女は”想像力で楽しむ”という個性を持っていた、ただそれだけのことで親(ここでは大人達全般)に文字通り抹殺される。
母と子、というテーマで見直してみると、ここでは一人母だけが「もう少し待ってみません?」と多少かばい立てをする。母とはそういうもの、という常識的な形か。しかし、そんな母も最後まで庇い立てることもなく、最後は容赦なく抹殺の為に指を向ける。
☆理解のない母

case03 『毛糸玉にじゃれないで』
1971年 受験期の少女の物語。父親の存在は稀薄。母親は娘をいい高校に入れたくて口うるさいが最後、娘の意志を通すことを許す。
受験戦争の中にある母と娘、その確執だが、最後はかなり理想的でハッピーエンド。そしてこの作品での特筆すべき事は、主人公が「お母さんみたいになりたい」と言っていること。「覚えたいのはお母さんのすることよ そしてお母さんみたいなお母さんになるの」というセリフにある母は割烹着姿の典型的な日本の母、である。
☆理解のない母 →※大島作品の母と比較(大島弓子の【母】へリンク予定)

case04 『雪の子』
1971年 エミールの母はエミールを産んだことで死んでしまう、その母の後を追って父は自殺。祖父は家系を継ぐものとして男の子なら孫として認める、というがエミールは少女だった。祖父に認められる為に偽りの少年として13才になるまでという限られた生を生きた彼女の本来の存在は否定されていたといえる。また、そのことで傷ついている少女自身も自らの生と成長後の自分自身を否定した。
エミールは仮初めの時間を生きたが、少年とも少女ともつかぬ美しい声で歌っていた。ここで”歌”が関わっているのに注意。
☆亡くなっている母

case05 『かわいそうなママ』
1971年 この作品で殺されるのは母親の方なのだが、しかし、その母にとってこの息子は存在していたのだろうか。
「ママの手はいつも冷たく、キスもほほえみもなかった」
「ママの幸せはぼくでもパパでもないんだって」と聡明なティモシーは語るのだが、生きて目の前に生活していながら、母親の心を占めるのは過去の恋人、ただ一人。ティモシーには母の心の中に自分が存在しないことを知っていたのだ。
☆亡くなっている母(不実の母)

case06 『小夜の縫うゆかた』
1971年 この作品でも母は最初から亡くなっている。亡き母はあくまでも美しく懐かしい思い出の中にいて、小夜は母との思い出を辿りながら、母が選んでくれたゆかたを縫う。
☆思い出の中の美しい母(理想的)

case07 『11月のギムナジウム』
1971年 「トーマの心臓」の派生的作品。
トーマとエーリクの双子の母の不実。許されない愛をいちずに貫いてしまった女性。
「トーマの心臓」のオスカーの母などとも少し被る。
☆不実の母

case08 『ドアの中のわたしの息子』
1972年 精霊であるダーナにある日突然こどもが出来る。この作品ではダーナを始めとする精霊達が一般の人間から隠れるようにしながらその生活を楽しんでいて、前例のない”こども”の誕生も最初はとまどいつつも精霊仲間に認められて、無事出産を祝う。
精霊たちのモデル(一部)は萩尾さんの当時の漫画家仲間たち。
『精霊狩り』『みんなでお茶を』と合わせてダーナのシリーズでは異質なるものは迫害される、ということがくり返し語られる。ここでは母であるダーナもこども達も同じ側にいて、ただ異質であるだけで迫害されねばならないのかと訴えかけるのだが、それはダーナが作者自身の投影だからだろう。
一般的価値観からはずれていることを感じながらも仲間とともにその自由を楽しんでいる感じが伝わってくる。
この作品で「精霊は生殖能力が低下していったのではないか」とあるがこれは後の作品『マージナル』『銀の三角』などにつながっていく。
☆SFの中の母と子・特異な生殖性

case09 『オーマイ ケセィラ セィラ』
1973年 亡き母譲りの美しい巻き毛のセィラ。ここでも最初から母は「亡き者」。
美しく女性として理想の姿のまま娘の記憶に生きている母。
☆思い出の中の美しい母(多情)

case10 『トーマの心臓』
1974年 〜この物語の主な登場人物の母との関係〜
まずはエーリクの母
物語の途中で亡くなってしまうこの母も魅力的で美人で多くの男性に求愛されるが、息子との依存関係がかなり濃いあたり、『残酷な神が支配する』のジェルミの母の原型的。
☆思い出の中の美しい母(多情)
オスカーの母もまた、数多くの男性に望まれた美人であるが彼は自分が母の不実の子であることを知っている。   
☆思い出の中の美しい母(不実)
ユーリの母。ユーリの父との結婚に反対した祖母に対して自分の意志を貫いた女性。話にはあまり出てこないが、ユーリが完璧であることを目指す陰に、母のプライドがかなり伺われる。
☆子供の方向性を握る誇り高き母
トーマの母。美しく優しい、ということしか出てこない。
☆美しく優しい母(理想的)

case11 『アロイス』
1975年 双子のうちアロイスはすぐに死んでしまった。ルカスを通じて存在する彼はルカス以外には誰にもその存在を信じては貰えない。美しく優しい母もまた、アロイスはもう死んでいないのだ、とルカに諭す時、アロイスは絶望に身をよじって叫ぶ。
「ぼくはいるんだ!ぼくはここにいるんだ!」
☆美しく優しい母(理想的)
☆[アロイスにとっては]自分を認めない母

case12 『この娘売ります!』
1975年 主人公ドミニクの母は既に亡くなっている。今も亡くなった妻を愛しているという父の思いからも、母は永遠に思い出の中で美しい。
☆思い出の中の美しい母(理想的)

case13 『11人いる!』
1975年 この作品では母と子の関係は特にみられない。
両性体であるヌーとフロルの星の生殖性については萩尾SF世界における性の転換という点を特筆。
☆SFにおける母と子(特異な生殖性)

case14 『アメリカン・パイ』
1976年 この作品で死んでいくのは少女の方。余命いくばくもないリューは、顔は悪いが人のいいグラン・パ(救いキャラの原型)のところに居着いて酒場で歌を歌い始める。何かを残したいと願った少女が選んだのはここでも歌だった。(『雪の子』参照)ぶどう園の一人娘らしい少女めいた姿から男の子に間違われる程変わったのはなぜか。ここでも性の転換が行われているのに注意したい。
両親はごく典型的で、死んでいく娘を想い涙するが、グラン・パがいなければ、彼女の想いはくみ取れなかっただろうと思われる。
☆典型的な母

case15 『ポーの一族』シリーズ
1972〜1976年 エドガーとメルーベルの母は亡くなり、ポーツネル夫人は母といっても形だけ。アランの母は優しいが、体が弱く亡くなってしまう。
☆亡くなっている母
怪奇ファンタジーのこの作品において母と子という視点で更に取り上げるとすれば「はるかな国の花や小鳥」の美しいエルゼリだろう。
未婚だがこの女性は、『トーマの心臓』のエーリクの母や「残酷な神が支配する」のジェルミの母に通ずる、心弱さ、現実からの逃避、そしてそれらが彼女たちの美しさや魅力の陰にあるという形。
☆心弱い美しい女性(現実逃避的)

case16 『スター・レッド』
1978年 スターレッドで母になるのは一度死んで新たに生まれ直すセイの宿し主とでもいうべきヨダカである。ここでも性の転換が行われているのが面白い。
セイの母のことは不明。
☆SFにおける母と子(特異な生殖性)

case17 『ゴールデンライラック』
1976年 ヴィーの母は美しく優しく、お金持ちの奥様らしくおっとりとしてるが芯はしっかりしている。そして彼女自身は美しく強い母になる。 
☆美しい母(理想的)
ビリーの母は既に亡くなっている。
☆亡くなっている母

 

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研究員:天野章生 / 作成日:2000/2/18

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