★展示開催の経緯について
倉持:今日のイベントでは、本日より開幕したバレエ・マンガ展について、展示裏話や展示では説明しきれなかったこと、出展できなかった作品など、まさに外伝的なお話を皆さんにしていただければと思っています。今日、登壇している人達は、今回の展示のために結成された「バレエマンガ研究会」のメンバーです。実は、本展は、このメンバーによって別々に企画されていました。まず私の方から、今回の展示開催の経緯となぜこのメンバーなのかをご説明させていただきます。
6年ほど前、京都国際マンガミュージアム(MM)にバレエ・マンガの大量な寄贈書籍があること知り、その時に、ミニ展示か特集棚などで何かに使えればいいなと考えていました。同じ頃、京都精華大学で開催したバレエ・リュスの企画展示を企画・監修していた芳賀さんと出会い、バレエ・マンガの話で盛り上がりました。芳賀さんはかねてから「バレエ・マンガ」に関する展示をしたいと思っていたとのことで、その後すぐに、とても熱の入った展示の企画書をいただきました。それをきっかけに、バレエに詳しい人と一緒なら、小さな規模ではなく、大々的な展示をしたいと考えるようになり、企画が動き始めました。
また、マンガミュージアムで少女マンガに関する展示をいつか腰をすえてやらなければ、という気持ちもずっとありまして、バレエ・マンガの展示はまさにそうしたものになるだろうと。それなら、「少女マンガパワー!」展など、少女マンガの展示経験も豊富なヤマダさんに関わってもらおうと、全体監修をお願いすることになりました。そして、企画書をくださった芳賀さんには、バレエに関する監修をお願いしました。
そして、「図書の家」さんは、かなり前から自身のHPで「バレエ・マンガ」に関する膨大なリストを公開されていて、私は、過去、学生時代だったと思いますが、初めてそれを知った時、「これはすごい!」と衝撃を受けていたので、展示すると決めた時、すぐにお声をかけさせていただきました。
その後、館のスケジュールや予算の調整でなかなか実現できなかったのですが、そんな折、2年前に少女マンガに詳しい岩下さんが国際マンガ研究センターの研究員として着任されたので、満を持して、皆さんを京都にお呼びしました。その後、岩下さんは、別の大学に栄転されてしまったのですが、「自身の研究に役に立つから」ということで引き続き協力していただきました。
長くなりましたが、そうした経緯で集まったのがこのメンバーです。これらのメンバーで何度か直接打ち合わせしたり、メーリングリストで頻繁にやりとりをしました。それで出来上がったのが今回の展示です。そして、ヤマダさんや図書の家さん達も、実は当館からお声かけするよりもっと前にバレエ・マンガ展への思いがあったとお聞きしています。長年バレエ・マンガ展への思いを暖めていたメンバーが奇跡的に集まったわけですが、そのあたりのお話も含め、ヤマダさん、お願いします。
ヤマダ:15年前の1998年に、私が勤めていた川崎市市民ミュージアムに「図書の家」の岸田さんが訪ねていらして「バレエの展示をしたい」とおっしゃったんです。いま会場にあるバレエシューズに画びょうのオブジェ、ああいったものの案もその時既に出ていました。当時、私もバレエ・マンガの展示をしたいと思っていて密かにバレエ・マンガのリストを作っていたんです。なのですごく意気投合してそれをコピーして差し上げました。そしたらしばらくして、びっくりするような量のバレエ・マンガのリストと共に、「『図書の家』というサイトを立ちげました」ってご連絡があったんです。それが「図書の家」さんとのお付き合いの始まりです。
一方、芳賀さんも10年前くらいに「図書の家」にメールを出されたり、川崎市市民ミュージアムにもアプローチをしてくださっていました。そんなわけで先ほど倉持さんもおっしゃったように、このバレエ・マンガ展は別のところでやりたいと思っていたみんなが集まって出来上がった奇跡的な展示なんです。川崎時代はその企画を具体的なものにすることはできなくて申し訳なかったですが、芳賀さんは、なぜ強くバレエ・マンガ展をしたいと思われていたのですか?
芳賀:私はバレエ・マンガというものに出会えたのがとても遅かったので、この世界に驚いたというのがまずひとつです。こういう言い方をすると怒られるかもしれませんがハイ・アートといわれるアートであるバレエが、サブ・カルチャーと位置づけられるマンガによって、これだけ日本に広がっているということが、バレエの日本での受容、定着と考え合わせると面白いと思ったんですね。
最初にマンガでバレエを知る人が多いという事実は、世界的に見ても珍しいことなので、元々日本だけでなく、世界で見せられる展覧会になったらいいなという思いがあったんです。展覧会をするには、私はマンガについては素人ですから、どなたかと組んでできないかしら、と思っていたんです。
ヤマダ:私も、この展示は海外で喜ばれそうな展示だと思います。世界での展示に協力してくださる方、国外の素敵な美術館を知っている方いらしたらよろしくお願いします。
私はなぜバレエ・マンガに興味があったかというと、今の少女マンガ表現が形作られていく際の重要な位置にバレエを主題にしたマンガがあると、リストを作っていた当時知ったからですね。少女マンガは、女性の少女マンガ家が中心になった60年代後半から70年代にまともなジャンルになった。その前は少年マンガに移っていく男性マンガ家さんのマンガだけがすごくてあとはダメ、みたいな少女マンガ史観があると感じていたんですが、50年代後半からしばらくの少女マンガ誌を少し丁寧に見ただけで、「全然イメージと違うじゃん!」と感じたからです。その頃の少女誌がまさにバレエ・マンガがたくさん台頭してきた時代のものだったので。それで、この時代の少女マンガをバレエ・マンガとともに紹介したいという気持ちがまずあったんです。
★バレエ・マンガが登場するまで
ヤマダ:私はまず、図録ではあまり紹介できていない、バレエ・マンガが登場するまでの流れをお見せしたいと思います。それから、バレエ・マンガが登場した当時の刺激的な状況を紹介して、次の話題に移りたいと思います。少しお時間をください。
まず、展示では、芳賀さんのおかげで、マンガ以前のバレエの歴史を貴重な薄井コレクションとともに紹介することができています。これはひとつ前の芳賀さんの講演である程度ご説明できたかと思います。また、展示ではパネルで展示されているこの大正時代の高畠華宵のバレエ風の抒情画(図録P10-図3)は、雑誌では横に詩が添えられて掲載されていました。今回の調査で初出(『少女の友』1926年10月号)がわかり、借用先から喜んでいただきました。それから1940年代末の少女誌にバレエのグラビア等がどんどん登場するようになります。これは「未来を約束された少女たち」というタイトルの、天才少女の紹介記事(『少女の友』1950年1月号)ですが、バイオリニストなどが紹介される中、筆頭に未来のバレリーナが紹介されている。この頃にはバレエが少女の憧れになっていたというのがわかる例ですね。
それから松島トモ子ちゃんの小さい時のグラビア。日本舞踊とバレエと一緒に紹介されているような。子役アイドルとしてのトモ子ちゃんが、このあとどんどん出てくるようになって、その中でもバレエの格好をたくさんしていたりします。これは1951年の記事です。
それから小説。この「白鳥(しらとり)は悲しからずや」(『少女クラブ』1947年)という小説は、バレリーナを主人公としています。また、この、カラーグラビア物語すごく派手ですよね。これは物語自体はバレエの話ではないのですが、イメージ映像としてバレエがでてきています。空想シーンになるとバレエになるという。「ラ・シルフィード」みたいに、背中のところに羽がついていて、かわいらしい感じですよね。
このように少女誌にだんだんバレエがいっぱい登場する中で、絵物語にも重要な表現が登場します。
これは、勝山ひろしさんが話も絵も描いてる「泣くな白鳥」(『少女』1955年10月号〜56年3月号)(図録P32-図3)という絵物語の初回の最初のシーンです。少女マンガって2ページ見開きで構成されるとよくいいますが、これは折りをあわせて3ページの見開きで構成されています。
この見開き、すごく少女マンガっぽくないですか? この真ん中にいる少女。顔は少女マンガの絵じゃないですけど、ほおにバレエシューズをあててにっこり笑う女の子が真ん中にいて、向かって左に三段ぶちぬきっぽいバレエ姿の全身像があって、背景に練習風景があり、ここに勝気そうなライバルっぽい少女が描かれ、ある意味その後のバレエ・マンガの世界を全部凝縮したようなページです。これを見た時は本当に「はぁ〜!」って思いました。
今回の調査で、はっきりと「これはマンガ」と思える作品の中にバレエがでてきた最も早いものが「にゃん子のアメリカ旅行」(石田英助『少女』1951年3月号)です。このにゃん子が、かわいいんですよね〜。かつ、これはみなさんにもマンガだと思っていただけるかなと。物語は外にあるけれども、コマがあって吹き出しがあって。アメリカ旅行の時にバレエが一瞬登場する。1951年の作品です。
そして53年に、「バレーのノンコ」(絵・小林わろう、作・玉川一郎『少女』1953年1月号〜8月号)という、タイトルに「バレー」がつくマンガが登場します。バレリーナになりたいけど親が許してくれなくて奮闘するノンコのお話です。
このあとに、有名な手治虫さんの「ナスビ女王」(『少女』1954年5月号〜55年7月号)が登場してきます。主人公はナスビで、バレエをしてるのはタカ子さんという三人の主要人物の一人なんですね。 手さんですら、単行本のあとがきの中で、「タカ子というバレエをする女の子に人気が集中した」と記していて、マンガでバレエを描くと人気が出るんだなということが、だんだんわかって来た頃なんだということがわかります。 「バレーのノンコ」とか「にゃん子のアメリカ旅行」もかわいいんですけど、手塚さんのマンガをみると、ポーズもすごく決まっているし、練習シーンも細かくて上手です。(図録P32-図1)「さすが手治虫!」という感じです。キチンと取材しているんだと思いますね。
同じ頃、山内竜臣さんの「赤い靴」というマンガが出ました。アンデルセン童話を物語にしたディズニー風の絵なんですけど、完全にトゥで立っている。この頃「赤い靴」というタイトルの単行本が何冊か出ています。ただアンデルセン童話をマンガ化しただけとも思えるかもしれないけれど、山内さんのものには「バレエ漫画集(1)」というシリーズ名がついています。モイラ・シアラーの映画「赤い靴」が1950年に公開されたことなどを考えあわせると、この頃の「赤い靴」は映画の影響で、当時バレエ・ブームが起きていて、バレエという題材が色んな方向、つまり、マンガを描く人、グラビアを作る人、雑誌全体を作る人に注目されていたということがわかると思います。
★バレエ・マンガの登場
ヤマダ:これまで見てきたように、もうバレエがマンガに登場してはいますけど、私は、今紹介した「赤い靴」の山内竜臣さんが「火の鳥」(図録P32-図2)を描かれた1955年を、バレエ・マンガの登場の年としたらいいんじゃないかと思います。というのは、これは単行本一冊がまるまるバレエ・マンガなんですね。同じ年に、わたなべまさこさんも、単行本でバレエ・マンガを描いてらして(「嘆きのバレリーナ」1955年)、要は今のところわかっている、最初から最後までバレエを題材にしたオリジナルのマンガが描き下ろされたのが、55年くらいなので、この年をバレエ・マンガ登場の年としていいんじゃないかと思ったということです。
同じ頃か少し前、イギリスでもバレエ・マンガが描かれています。これは『The Best of “Girl” Annual』という、1952年から59年の少女向け雑誌を紹介した本ですが(1990年発行)、イラストっぽいものや、グラビアみたいなものもあり、マンガもたくさんあって、中にバレエ・マンガがあります。これが輸入され影響を受けたわけではないでしょうけれど、このちょっと後くらいに、日本でもバレエ・マンガが登場したということですね。 モイラ・シアラーやマーゴ・フォンティーンみたいなスターが生まれて起こった、実は世界的な流れだったのかもしれないですね。
「にゃん子〜」も「ノンコ」も「ナスビ女王」も『少女』という光文社の雑誌に掲載されていました。この頃特に『少女』ではバレエ・マンガの大きな流れがありますので、しばらく『少女』の流れを見ていきたいと思います。たとえばオオトモヨシヤスさん。絵はつたない感じに見えるかもしれないけれど、コマをまたぐ形で踊り出す女の子を描いて、全身が飛び出すような効果を表現している(「泣かないで泣かないで」1956年『少女』11月号)。その後で、高橋真琴さんが「東京の白鳥」(1957年『少女』9月号)というバレエ・マンガのすごい作品を描いて、その後はこの図録の中で藤本由香里さんも指摘してらっしゃいますが、毎回毎回実験的なバレエ・マンガをどんどん描かれていくんですね。でも当時『少女』を読んでいた人は、マンガなんだけど、絵物語とマンガのあいだみたいなものとして読んでいたんじゃないかという意見もあります。高橋さんご本人も、「マンガの人にはマンガではないといわれ、イラストを描く人にはイラストではないと言われた。でも僕はマンガを描いてるという意識はあまりなくて、新しい表現を常に探していたのです。」とおっしゃっていました。
高橋さんが1957年に実験的な作品を描いていたのは、ちょうど劇画の運動が起こっていて、マンガの歴史の中だと、辰巳ヨシヒロさんが「幽霊タクシー」(1958年『街』12号)を描いていた前後頃、高橋さんは「のろわれたコッペリア」(『少女』1957年12月号/図録P56-図1a)など、すごいびっくりするような作品を描いていた。
高橋真琴さんは大阪出身で、劇画の人とも交流があって、劇画の人がそれ以前の手さんっぽいマンガじゃないような作品を描こうと頑張っていたのとおそらく同じ志で、マンガを越えた美しい表現が何かできないかと模索していたんだと思います。その中から生まれてきたのが高橋さんのバレエ・マンガでした。それは今の目で見ると少女マンガにしか見えない、というか、今の少女マンガのメソッド、作法になっているものが生み出されていたと感じます。
当時実験的なことをしていたのは、高橋さんだけではありません。この牧美也子さんの「白いバレエぐつ」(『少女』1957年12月号)は、ちょうど「のろわれたコッペリア」と同じ号に載っています。これは扉絵なんですけど(図録P33-図5)、見開きで、女の人のアップは髪の毛と、背景が融合して、全身像が二つあって、主人公の女の子はかわいくて、この横の人は幻想的でっていうのを表現しています。当時は扉からマンガが始まるのが普通だったから、同じページでマンガも始まっている。このページを見るとイラスト的な要素がすごく大きいんだけれど、マンガとしても素敵にみえるよう、一生懸命模索してらしたことがわかりますよね。
今回の図録にも書かれているし、『マンガ研究』(2007年vol.11)の中でも、藤本さんが指摘している、少女マンガの中に初めて三段ぶち抜きのスタイル画というものが描かれるのが、先程からお話している高橋さんの「あらしをこえて」という作品です。今日は皆さん、本当に悪天候の中「あらしをこえて」いらしてくださって、大変だったと思います。
そのバレエ・マンガの初期の代表作である「あらしをこえて」の連載が始まるのが1958年1月号ですから、57年の末に登場しています。
とても裕福でバレエをやってる女の子のお話なんだというのが、(作品を見せながら/図録P56-図2)ここを見るとわかるという構成になっている、と藤本さんは指摘なさっています。すばらしいですよね。
表現の実験という意味では、その頃、他の雑誌、たとえば『少女クラブ』でも、さっきの「泣かないで泣かないで」のオオトモヨシヤスさんが描いた「白鳥になったアンネ」(『少女クラブ』1958年お正月増刊号/図録P33-図8)というのがある。この集中線が後ろにあってこの女の子が舞台にばーんと飛び出した、というのがすごく表現された、今見るとそんなに珍しくはないように見えるかもしれない表現ですが、全体の中で見ると、とても変わっています。
「あらしをこえて」と同じ年の、同じお正月の、他誌の増刊号で、こういうことがおこっています。
こちらは『少女ブック』ですね。木村光久さんという、『少女』でも絵物語とかを描かれていて、マンガでもわりとコンサバな、素敵な作品を描いている方が、絵物語の時に、こういう不思議な感じの、いろんなものが融合したような画面の手法をよく使っていたんですが、それをマンガに応用したシーンです。すごくないですか?
高橋さんの画面構成を見ると、木村さんはちょっと読みにくいように思うんだけど、要は方向性は同じ。増刊号に載っていたので、短いページ数の中で、いっぱいのものを見せたいというところから起こったことだと思うんです。(「白鳥のちかい」木村光久『少女ブック』1958年新年増刊号/図録P34-図9)ここだけ見ると、見にくいんですが、お話をずーっと読んできて、ここをぱっと見ると、山場だなというのがわかるんです。
だから「あらしをこえて」に登場した三段ぶちぬきの表現が『少女』に載ったのとほぼ同じ時期に、『少女ブック』と『少女クラブ』でも、なにか変わった表現をしようとしている人がいたということです。とても刺激的です。でもオオトモさんのは多分、どちらかというと少年マンガっぽい表現かなと思います。
最終的には、マンガでもイラストでもないものを目指していた高橋真琴さんの表現が、主に少女マンガの定番のものとして定着していくという流れが、57年中に一気に起こったということではないかなと。そして、そのあともずっと少女マンガらしい表現というものを、色んな作家さんが切磋琢磨して築かれていって、どんどん一生懸命考えて、70年代の少女マンガの革新の時代につながるんだと、私は思っている、というお話です。
芳賀:いまイギリスのバレエ・マンガが話に出ていましたが、1921年にバレエ・リュスが二ヶ月という長い公演を、ロンドンで行ったんですね。通常のオペラ・ハウスではなく庶民的な劇場であるミュージック・ホールでの公演でしたので、普通ならバレエに行かないような人も広い階層の人達が見に行ったんです。イギリスでバレエがマンガに取り上げられた背景として、それがあるだろうと思います。
ヤマダ:上流階級中心だったものがより広い階級の人々にもはいってきて、マンガに描かれ、親しまれるという形になったのかもということですね。
岩下:さっきの『Girl』というのはイギリスで出ていた少女向けの雑誌で、マンガ中心なんですけど、1964年に休刊になります。日本ではむしろ50年代には総合的な少女雑誌だったものが次第に少女マンガ雑誌化していって、60年代になるとほぼマンガ中心の雑誌になり、ずーっと生き残っていく。50年代当時はどちらにもバレエ・マンガが載っていたという重なりを感じるわけですが、60年代以降はまったく違う流れになっていくのが面白いと思います。
★出展作家以外の作家について
倉持:今回の展示は、原画を中心とした12名の作家さんの額装品が展示の主な目玉となっていますが、紹介できなかった作家さんもたくさんいらっしゃいます。一部は雑誌などで紹介していますが、バレエ・マンガにおいて重要な作家、作品についてお話していきたいと思います。
ヤマダ:ここにいらっしゃる皆さんは、(展示に)あの人もこの人もいないと思っていると思いますが、男性作家さんもいっぱい活躍なさっていた中で、この人も描いていたのか? という筆頭が多分、楳図かずおさん。「母をよぶこえ」(『少女ブック』1958年4月号〜12月号/図録P57-図3)。なにかムードがあるんですね、すごく素敵なんですけど。楳図さんは男性作家さんの中でも、バレエ・マンガに貢献した一人だと思います。うんと初期の頃は「バレエ、かなぁ?」みたいな感じですけど、バレエの作品を描いてる。「まぼろし少女」(『虹』1959年創刊号〜10号)という、なにか怖い作品とか。
そんなにいっぱい描いてらっしゃるわけではないけれど、トゥ・シューズに画びょうのバリエーションというか、すごい初期のものを、赤塚不二夫さんが、ちっちゃなブローチが靴にはいっていて、怪我したというのを描いてますね(あかつかふじお「ブローチとバレエ靴」1958年『少女ブック』新年増刊号/図録P45-図6)。
石ノ森章太郎さんのこれはけっこう面白くて、心の中で思い描く回想シーンだけがバレエになっている「水色のリボン」(石森章太郎『少女クラブ』1957年11月号〜58年3月号/※58年2月号のシーン)という作品があります。いろんな表現の実験をしていたそのひとつです。
「鉄人28号」ですごく有名な横山光輝さんも、少女マンガ作品をいっぱい描いていて、それがまたすごくかわいくて。その中でもちょこちょこバレエを描いていて、「裏町の白鳥」(『少女ブック』1958年)という画家がバレリーナをモデルに絵を描いているお話とか、「白鳥の湖」(『少女クラブ』1956年)は「白鳥の湖」のバレエじゃなく、物語を描いていたりします。
巴里夫さんとか。だれでもみんなやっぱり一度は(バレエ・マンガに)手を染めないといけない感じで出ていたという。
それから劇画「ぶれいボーイ」の芳谷圭児さん。学年誌にバレエ・マンガがいっぱいあるんですが、それのハシリの頃にこんなかわいらしい作品を描いています。(「トランプの騎士」1959年『小学六年生』7月号)。
松尾美保子さんも展示されてしかるべき作家さんなんですが「ガラスのバレーシューズ」(『なかよし』1966年1月号〜67年12月号)などを描いています。
それから細川智栄子さんはすごく重要で、『少女クラブ』という講談社の雑誌でデビューするのですが、デビュー作からもうバレエを描いていて(細川千栄子「くれないのばら」(『少女クラブ』 1958年夏休み増刊号)、雑誌が廃刊するまでずーっとバレエを描いている。『週刊少女フレンド』に移って「あこがれ」(細川知栄子/1968年〜69年)など色々な作品を描いてから『プリンセス』に移って「王家の紋章」(細川智栄子あんど芙〜みん/1976年〜)の人になる。 かわいい〜ですよね。ほんとにかわいいです。見ただけで細川智栄子とわかるような絵柄、雑誌で見るとすごく絵が大きくて、塗り絵っぽいですよね。
また、時代がすごく飛びますが、図録に載せるのは無理だったので、せめてリストに載せたかったダーティ・松本さん。ダーティ・松本さんはエロ漫画の雄なんですが、バレエのエロ漫画をものすごく描いているんですよね。ほんとに一生懸命真剣に描いていらして、バレエ好きなのは有名な話で、代表作を一行なりとも入れたかったんですが、今回入れられなくて残念だったので、この場でご紹介させていただきました。(掲載雑誌、単行本等を紹介)
あと、最近では、相田裕さんの「GUNSLINGER GIRL」(2002年〜12年)。これも後で読んでいただきたいですが、群像劇から、あまり心理描写を深くしないでいるところから、キャラの心理描写を丁寧に描くようになる時に、バレエをマンガに取り入れています。主人公の一人、主要な女のキャラの名前がペトルーシュカです。このページだけ見るとほとんどかっちりした、はみ出さない絵なんですが、バレエが描かれるあたりから、細かなはみ出しが出てくる。心理描写とバレエをすることを、合わせ技で作品に取り入れていく、ということをしています。
岩下:今月19日に発売の『チャンピオンRED』でバレエ・マンガの新連載が始まりますね。『チャンピオンRED』は「プリンセスチュチュ」(2002年〜03年・アニメ作品)のコミカライズが載っていた雑誌ですが、まるで展覧会とタイミングを合わせてくれたかのようです。(Cuvie「絢爛たるグランドセーヌ」2013年9月号〜)
ヤマダ:男性誌でバレエ・マンガの連載が始まるということを紹介させていただきました。 他に何か、忘れられてると困るというのがありますか?
会場:細野みち子さん。
ヤマダ:そうですよねー、細野みち子さん、描かれてますよね。かわいいなぁ。これはバレエ・マンガというか、白鳥の女の子が主人公で、鶴の恩返しならぬ、白鳥の恩返しなんですね。(「白鳥少女」『少女フレンド』1964年/原作:中尾明)
会場:ゼロゼロナイン。(石ノ森章太郎「サイボーグ009」1964年〜85年)
ヤマダ:ゼロゼロスリーの職業がバレリーナだ。あれもきっと少女マンガを描いていたことからきてるのかなぁ。そうですね、ほんとですね。
倉持:さいとうちほさんとか、最近の作家さんがわりと展示では紹介できてないんですが、会場の「読むコーナー」に、最近のバレエ・マンガで単行本化されているものは集めてあります。
ヤマダ:BLでは「華麗なる俺達」(新也美樹・2003年)というバレエ・マンガがありますね。あとBLではないですが、「東京湾岸バレエ団」(朔田浩美・2007年〜09年)も面白い。
芳賀:朔田さんの「東京湾岸バレエ団」は実際にスタジオにも取材に行かれた上でコンテンポラリー・ダンスをマンガに描いた非常に早い時期のものなのではないかなと思います。日本を舞台にしてコンテンポラリー・ダンスを描いているので面白いなと見ていました。
えすとえむさんの「リュミエール」(2007年)も非常に面白いと思いました。ベジャールの衝撃をバレエ漫画がどのように作品化していったかという事だけを見ていっても面白いことが言えると思っているのですが、その流れで捉えてもいいのかしらと勝手に思いました。 モーリス・ベジャールとジョルジュ・ドンの関係が背景に流れている作品のように感じられましたので。
ヤマダ:図録には7人分のインタビューもありますので、ぜひ読んでいただきたいんですが、今回の取材ではっきりわかったのは、マンガの取材のためにバレエを観てはまっていく方が多い中で、萩尾望都さんはバレエを鑑賞することが大好きで、はまっていったあとにバレエ・マンガを描かれている。そういう方は珍しいです。やはり、萩尾さんもベジャールの衝撃みたいなことはおっしゃっています。「春の祭典」がすごいという話はいろんなマンガ家さんからお聞きしました。
芳賀:バレエには、女の時代、男の時代があると先ほどの講演でお話ししましたが、男の時代の一番の衝撃と言う意味でもっとも最近のものはベジャールのバレエだと思います。それまでバレエといったら女の人、特に少女。それが男、しかもベジャールの作品では、役を演じているのではなく、男性として存在していてそれがとてもセクシーで…。最初観た衝撃は忘れられません。「こんなのバレエでやっていいんだ?」と、とっても驚いたし、かっこよかったんです。今はコンテンポラリー・ダンスなどで全部脱ぐことも珍しくなくなりましたし、何でもありの時代になりましたから、あれほどの衝撃はないと思いますれど、ほんとに普通のバレエしか見ていなかった時代に、ベジャールのあのバレエっていうのは作品として凄いだけではなくて、セクシャルな魅力もあるものでした。
ヤマダ:なるほど。私はジョルジュ・ドンはテレビ等で色々観ることができたのですけど、バレエダンサーというよりロックスターみたい、って思いましたね。
芳賀:あの時代のダンサーがロックスターっぽい存在だったのは事実で、ルドルフ・ヌレエフなんかは「クラブ・フィフティー・フォー」に出入りしたり、スター的存在でしたね。
会場:ニジンスキーを有名にしたのは「イブの息子たち」ですよね。
ヤマダ:ニジンスキーを有名にしたのは「イブの息子たち」。まさにそれと同じキャプションをここの展示に書かせていただいたんですが、「イブの息子たち」(1975年〜79年)という青池保子さんの出世作がありまして。歴史上の人物、エリザベス1世とか仏陀とかがコメディータッチで出てくるんですが、ちゃんと歴史上の人物の特徴が生かされているので、ギャグの破壊力が高いんです。
その中にニジンスキーが出てくるのですが、私は、ちょっとナルシスト的なところのあるバレエダンサーなのかな、と思っていたのですが、そういうのが見ているだけで伝わってくる。馬面のヒースという主人公の男性が好きで、白鳥のオデットの格好で出てきて眉間に縦じわをたて「ヒース、私を見て」と言うのが定番です。
この展示では、バレエ・マンガの正統派のきれいなところだけでなく、ギャグに使われてる部分みたいなところも反映できたことは、すごく良かったなと思います。
谷ゆき子さんのバレエ・マンガとか、今話していた「イブ〜」のニジンスキーの紹介とか、魔夜峰央さんの紹介とか、水野英子さんがバレエを愛好していて、(ダンサーの)ルジマトフに贈るために描かれたイラストの複製が飾られているとか、そういうものの紹介もできているところが、この展示の素晴らしいところかと思います。
岩下:ニジンスキーについて誤解しないために、会場で展示されているニジンスキーの伝記マンガの翻訳を読むと良いかもしれません。
ヤマダ:山岸凉子さんも描かれていますが。あれらを読んだら誤解しないですか?
芳賀:ええ、だいぶ誤解すると思います(笑)
ヤマダ:スペインで出ているニジンスキーの伝記マンガを翻訳したんですよね。
芳賀:あれは薄井憲二コレクションが所蔵しているもの中で唯一のでマンガです。スペイン語を水野慎子さんが翻訳して下さったんです。
同じような絵柄でアンナ・パブロワのものがイギリスで出ているのは現物も確認できているので、英語とスペイン語と何か国語かで同じものが出ていたのではないかと思うんですが、わかりませんでした。
ヤマダ:ひょっとしたらイギリスのものが翻訳されてスペインで出ていたのかもしれないですね。
★バレエ・マンガのオリジナル演目について
倉持:バレエ・マンガの中には、作家が考えたオリジナルの演目がたくさん出てきます。山岸先生の「アラベスク」(第一部で主人公が主役に抜擢される演目/1971年〜73年)も、実はオリジナルの演目ですし、黎明期のバレエ・マンガにも、すごくたくさんオリジナルの演目があります。
ヤマダ:さっき一度見た、牧美也子さんの「白いバレエぐつ」(1957年)は、たった8ページのサスペンスものですが、そこの中で「雪の精」というオリジナルのものがでてきます。
図版がないですけど、細川智栄子さんの「黒いこうもり」(1959年)の中には「紅ばらのおどり」「バラの乙女」などの演目がでてきますし、「マキの口笛」(牧美也子・1960年〜63年)には「白い森」。
松尾美保子さんの「ガラスのバレーシューズ」(1966年〜67年)は、このタイトルがオリジナルの演目です。
谷ゆき子さんの「バレエ星」(1969年〜71年)という作品では、「バレエ星」というのが主人公のお母さんが書いていたというオリジナル演目です。
上原きみ子さんの「舞子の詩」(1977年〜81年)の中には、すごく大事な演目として何回も登場する、要は「ガラスの仮面」の「紅天女」みたいな作品として「エレナの赤い花」という演目があります。
バレエ・マンガの代表作、山岸凉子さんの「アラベスク」、これが完全にオリジナル演目ですね。「なぜオリジナル演目にしたんですか?」という質問にインタビューで答えてくださっています。 「SWAN」(1976年〜81年)に、白鳥になる前の「みにくいアヒルの子」という演目があるんですが、それも有吉さんが作られたオリジナル演目です。
萩尾望都さんの「フラワー・フェスティバル」(1988年〜89年)の中には「十二宮フェスティバル」というのがあって、それもオリジナル。すごい太めのキャラのたった女の子が、ガイアの役になる演目ですが、萩尾さんもオリジナルをいっぱい作っています。
芳賀さんは、こんなにオリジナル演目がたくさんあるのはすごいことだ、とおっしゃっていましたね。
芳賀:現実にも近いものがあるタイプのオリジナル演目と、本当にオリジナルなものがありますよね。例えば「SWAN」に出てくる「みにくいアヒルの子」とか、「アラベスク」とかは、実現可能なんじゃないかなというような作品で、そうした事は作家のクリエイティビティのすごさでもあると思います。
バレエの新作、中でも本当のオリジナル演目というのはなかなか生まれてこないですね。三大バレエ以降、本当に世界的にみんなが踊れるような名作というの、生まれてきていないんです。マクミラン作品は比較的最近で1960年代の「ロミオとジュリエット」ですが、以降では案外皆が知る名作という作品はクラシック・バレエでは生まれていないんです。
そうした中、マンガのほうがむしろリアリティのあるものを作っているというのがとても面白いな、と思います。
衣装のデザインもすでにできていますし、舞台美術もできてるでしょ。これを現実に落としこめば可能なのかもしれないと夢は膨らみますね。
あとは音楽が問題ですね。でも萩尾望都さんのは実際リアルに上演したものがあるんですよね?
もよ:「図書の家」で、最初にバレエ・マンガ展をしたかった不純な動機のひとつがそれなんです。萩尾さんがご自分で台本を書かれて、衣装デザインもしたバレエが現実にあるという話を聞いたので、展覧会みたいなものをしたら、その衣装とか、舞台のビデオとかが見れるんじゃないか? と思ったんですね。萩尾先生がお友だちのバレエ教室に提供した作品だそうです。これはマンガ作品にはなっていないですが、マンガ家さんのオリジナル・バレエを現実にした例がすでにあるということです。
芳賀:現実とのリンクの問題もすごく面白いし、私も知らないこともたくさんあるので注目し続けたいと思います。
岩下:僕がオリジナル演目で面白いと思うのは「エレナの赤い花」。上原先生がご自分の短編を、違う作品の中でバレエの演目として再利用している。だから、バレエなのに、みんなセリフをしゃべるわけです(笑)。
ヤマダ:ビジュアルとお話とを一緒に考えて、ビジュアルがうんと大事という、バレエと少女マンガの共通点があって、物語やバレエのオリジナル演目を少女マンガ家さんがいっぱい考えられている。リンクするというのはそういうことなんですね。要はビジュアルが大事でお話がそれに乗っていることが大事、この二つが、バレエと少女マンガが、すごく共通するので、そのような形になってきた。いつかなにかほんとに実現すればいいのにな、と思いますよね。
★初出調査こぼれ話
倉持:今回、図録にはバレエ・マンガのリストが巻末についていて、このリストの初出調査や、出展の原画の初出調査には様々な発見がありました。展示では伝えきれなかった部分がたくさんありますので、そのお話をぜひ。
ヤマダ:初出調査は「図書の家」さんが中心になって進めたのですが、ものすごい調査をしているんです。
各原画に、こういうところに「原画初出データ」というふうに載ってますが、それは簡単に思えるかもしれないけど、これを載せることって実はすごい大事なことで、なかなか普通はできないですね。どこに掲載されていたかという調査をまずしているんですが、絵画だったら一つの作品ですが、マンガって一作の中に、雑誌一話一話に16ページとか20ページとかあって、どこの絵か特定するのって実は案外大変な作業なので、みつかった時の喜びは、ひとしおですね。私たちは、連絡メールをくるくるまわしながら、みつかったら「バレエ・マンガの神様がおりてきたー!」と言っていたような感じだったんです。
その中でも、高橋真琴さんのこれ。「プチ・ラ」という作品にすごくよく似た絵があるので、最初はそれだとまで思っていたんですね。「プチ・ラ」のあれだよ、初出確認、簡単だよって。ところが、見てみると、較べてみるとわかるんですが、すごい違う。同じだけど違った。たとえば、ここが一番イメージが似てたのでこれじゃないかって言ってたんですけど、ここが右と左にある。この踊ってる人は同じだけど大きさがとにかく違う。大きく描かれてた女の子の顔なんかまったく違う。それでこれは『少女』という雑誌の「プチ・ラ」が描かれていた時のどこか別のバージョンというか、一枚絵に描き下ろされた、カレンダーとかに使われた作品なのかなと思っていたんです。「どこだどこだ」と大騒ぎして探していったらば、なんと、全然別の雑誌に。何年だっけ。
小西:62年。
ヤマダ:62年なので、漫画家をほぼやめられて、イラストレーターに変わられていく頃に描かれたもので、『なかよし』掲載だった。そして横に自作のポエムがついているという形になっていた。 雑誌も違うし、年も違うし、なんか偶然に見つかったんですよね?
小西:国会図書館で『なかよし』でなにか違うものを一生懸命見ていた時、たまたま、口絵を開けたらこれがあって。
ヤマダ:わー、バレエ・マンガの神さまがおりてきた〜。
小西:この絵については最初から、原稿の右に「プチ・ラ」って書いてあるし(図録P12)、絶対に『少女』にあるに違いないと思って『少女』の調査をしたんですが、全然いませんでした。
ヤマダ:こういうのでやるんですね。(調査票を見せている) 原稿に書きこまれたメモが参考になることが多いんですけど、むしろ混乱をきたすこともあって、これはその例ですね。
小西:書いてあることが、罠だった。
ヤマダ:というようなことがいろんなところでおこりました。 書誌的な、地道な研究らしい作業みたいなものを一生懸命させていただいてできあがってる展示だということをぜひ知っていただきたいと思います。 まだありましたね。このレターセットに使われている絵(図録P22-牧美也子)、これの初出も調べるのが大変でした。
小西:図録の22ページ。この絵は「マキの口笛」だと倉持さんから情報をもらいましたので、じゃあ「マキの口笛」を見ればいいんだな、と、扉だなということで雑誌を見ていくけど、いない。
倉持:牧先生のおうちの原画ファイルに「マキの口笛」ってしっかり書いてあったんです。
小西:本誌の調べられる限りのところにはなかったので、雑誌付録の「りぼんのワルツ」総集編を見たら、表紙に絵が使われていた。絵の背景が水色に変えられていたので、ああおそらくこれは初出ではないな、と。でも「マキ」と聞いたのに、なぜ「りぼんのワルツ」に使われてるのかな? と思いながら。 国会図書館で繰っていた時に、65年の12月に「マキの口笛」の総集編が3冊出ていて、扉になってたのを見つけたんです。これです(複写を見せる)。
ヤマダ:要は、一番最初、「マキの口笛」だと思ったのが「りぼんのワルツ」となって、そのあとやっぱ「マキ」だって落ち着いたところで図録の締切が来て、それがデータとして反映されている(『りぼん』66年春休み増刊号第3部総集編)。ところが、発売後すぐに図録を見られた牧さんにすごく詳しい方が…。
小西:「あれは「りぼんのワルツ」だよ」という情報を下さいまして。正しくは「『りぼん』64年の7月号「りぼんのワルツ」の扉絵だった」というお話です。これは確かです。
ヤマダ:図録で間違えてる話をしている感じでちょっと残念ですが、正誤表がはいっていますので、確認していただきたいです。このように色々な方の助けで、より正確な情報を提供できているかと思います。
岩下:リストに関しても、かなり罠が多かった。上原きみ子先生の「まりちゃんシリーズ」には「ハーイ!まりちゃん」というタイトルで三作あるんです。最初の二作はバレエ・マンガで、翌年、『小学一年生』にもう一作連載されています。
もよ:岩下さんが調べて下さった中にはない「ハーイ!まりちゃん」がもう一つあるとぎりぎりで気がついたので「急いで調べてください!」と頼んだんですね。
岩下:「まぁバレエ・マンガだろうけど一応確認しておこう」みたいな感じだった。ところが実際見てみたら、馬に乗ってたんですね。乗馬マンガだったっていう。「まりちゃんシリーズ」ならバレエだろうとばかり思っていたら違ったわけです。タイトルに「白鳥」とついてるけどバレエと関係ない、というものもいっぱいありました。
ヤマダ:今の話がでたから言うのですが、図録の後ろに「小学館発行の学年誌におけるバレエ・マンガ年表1959年〜95年」という年表があってすごく面白いので、ぜひみなさん活用してください。それでその年表の使用方法ですが、上の列に生年があります…。
もよ:生まれ年が書いてありますが、学年なので早生まれの方は前年を見ていただきます。 それを上から下へ辿っていきますと、あなたが一年生から六年生までのあいだに小学館の学習雑誌に載っていたバレエ・マンガが何か、がわかるようになっています。生まれ年によっては、全然バレエ・マンガが掲載されてない年もありますし、一年生から六年生までずっとバレエ・マンガが載ってる年もあります。
岩下:ちなみにぼくは「ハッピーまりちゃん」世代です。
もよ:私はもろに谷ゆき子世代です。ただ学年誌のトラップとして兄弟がいる場合、自分の学年にはないけど、弟の学年には載っていて、それも読んでいるというケースが絶対あるので、前後数年、兄弟の学年までチェックしていただければ。
岩下:兄弟の学年誌にも、例えば谷ゆきこ先生がバレエ・マンガをかいていたりして、自分の世代の学年誌に載っていたものと兄弟のもの、3〜4作品の記憶が渾然一体となっている場合もけっこうあるのではないかと思います。
ヤマダ:ぜひご活用いただいて、私の世代は何なにだったのだなあというのを確認していただけると面白いと思います。
★谷ゆき子先生について
倉持:先ほどから、谷ゆき子というお名前がたびたび出てきていますが、私は谷先生の話をみんなでしたくて、この「外伝」を企画したといっても過言ではないです。今回の出展作家の12名の中に入っていないんですけど、実は隠れた出展作家に谷ゆき子先生がいらっしゃいます。
当初、この展示で作家さんのお名前を表に連ねるのは、額装品として、原画もしくは複製原画を出展くださる先生というしばりで考えていたので、谷先生のお名前は外していたのですが、結果的に、魔夜峰央先生が直前で原画出展が難しくなり、額装品がなくてもお名前を出させていただいくことになったので、それなら谷先生もいれちゃえばよかった! と後悔しました。
谷先生のことは、展示の準備中に小西さんから教えてもらって初めて知ったんですが、これはすごい! となりまして。その頃まだミュージアムにいた岩下さんと一緒に読んで大興奮しました。岩下さん、どうすごいか話していただけますか?
岩下:学年誌を調べる時に色々見たんですが、まあ「すごい」としか言いようがないです。 たとえば、バレエ・マンガであるにもかかわらず、驚いたことに滝で修業をはじめたりするわけです。でもこういう修業自体は、実は本当に似たようなことがされていたそうですね?
芳賀:牧阿佐美さんなんか「滝修業というのはあったわよ。精神統一によかったわ」というようなことを実際におっしゃっていまして、日本では「バレエ道(どう)」みたいになっている面があるのかなとも感じたエピソードです。さすがにマンガのようなこんな事件はなかったと思いますが。
岩下:こんな事件というのは、これが滝修業の場面のある「バレエ星」ですが、主人公は、お母さんが作っていた新作バレエ「バレエ星」の続きを書くという、小学生にして大層な夢をいだいています。彼女の通うバレエ学校に、アザミちゃんといういじわるな女の子がいて、ほんとうに心底意地悪な子で(芳賀、倉持:犯罪者ですよね!)例えば、離れ離れになっているお母さんから届いた手紙をあけて、待合せ時間を修正液で嘘の時間に書換えたりする、かなりあくどい子なんです。で、滝修業している時に、このアザミちゃんが、石を投げるんですね。それがぶつかって滝の上から岩が落ちてくるんです。(図録P43-上右)主人公は危うく身をかわすんですが、流されてしまって、滝から落ちそうになる。それで小枝みたいなのにつかまってぶら下がっていると、救難ヘリが来て縄梯子をおろすと、木の枝から手の力だけで飛び移ってなんとか助かる。すごい身体能力です。
倉持:とにかく展開が読めない。このあとどうなるでしょう? っていったら100%誰もわからないというような展開です。
岩下:ちなみにこのあと、主人公はショックで目が見えなくなり、さらに野犬狩りに巻き込まれてしまいます。
倉持:他に「さよなら星」(1970年〜72年)という作品もあるんですが、途中でバレーボールし始めるんですね。これは「アタックNO.1」とかが流行っていて、多分編集部から「バレーボール流行ってるから、バレーボールにしてください」みたいことがあったんじゃないかと。このシーンもすごいんですが、見開きで後ろ向きのアタック、絶対バレエ・マンガだと思わない。
岩下:バレー(ボール)マンガだと思っちゃいますよね。このバレーボールの回にはいった号では、「すずらんちゃんが立派なバレリーナになれるよう応援しています」という読者のお便りが載っている一方で「バレーボールをプレゼントします」という告知もあって、もうなにがなんだかわかんない。
ヤマダ:混乱はなはだしい。でもちっちゃい子どもには面白いと思ってもらえたんでしょうね。
岩下:1年生2年生だとほとんどバレエをしてなくて、4年生くらいになってくると、ちゃんとステージに立ったり、踊ったりする。「さよなら星」の場合、4年生くらいに、確かイギリスに留学するみたいな展開になったはずです。僕なんかまとめて読んだので、途中で「あ、普通のマンガになった。ちゃんとバレエしてるじゃん」って勘違いしたり。結局かなりものすごい展開なんですが。
これも「さよなら星」ですが、主人公はこのままだと病気で脚を切らないといけなくなって片脚のバレリーナを目指すしかない、そのためには片足で2000回縄跳びをするんだ、といって練習をしてるところです。(図録P43-下左)その時病床に倒れてるお母さんが幻で姿を現して応援するという場面ですね。
倉持:あと面白いのが、おそらく担当編集者である「にへい記者」の存在。たびたびマンガの最後に登場し、「にへいきしゃも かなしくて 涙がとまりません」「次は もっと かなしくなります」みたいなあおりが入っている。見開きのアップのページに「谷先生が こんなに おおきな おかおを おかきになったのは、はじめてです」とか。(図録P43-上左)
もよ:リアルタイムで谷ゆき子世代は、ここでは私と小西さんと会場にいらっしゃる何人かかと思うんですが、私はそんなに楽しく毎月読んでた記憶はなくて、不幸の連続っていうのがけっこう怖かった覚えがあるんですね。来月なにが起きるかわからないじゃないですか。当時は、野犬もいっぱいいたし、自分も襲われちゃうかもとか。
ヤマダ:けっこうマジ読みをしていたということですね。「こんなことあるか?」っていうよりは、「こんなことあるかも」って。
岩下:「さよなら星」は第1回の1ページ目が、いきなり弟の星夫くんの危篤状態で始まっていて、ついその前にも何か載ってるのかと探してしまいました。ともあれ、お母さんと弟は治療のためにアメリカへ渡り、主人公は妹と二人で暮らすことになります。でも弟の病気の治療にはお金がかかる。なので、部屋を貸しに出すと老夫婦が入居してくるんですが、この老夫婦がなんと虎を飼ってるんです。主人公が「家の中で虎を飼うのはやめてください」というと「おや、虎を飼ってはいけないのかい?」なんて言ってきて、それなら出ていくから払った敷金礼金を返せという話になる。しょうがないから虎を我慢しなくちゃいけないんですね。(会場:笑)
ヤマダ:ホントにいろんなことがてんこ盛りになってて。
倉持:谷先生は著作権者が不明だったのですが、どうしても展示に出したくて、小西さんにも協力してもらい、ご遺族の方を見つけました。宣伝になってしまって恐縮ですが、グッズ化の許可もいただいて、「谷ゆき子きせかえ」というのが実現しました。可愛いのですが、なぜだか異様な感じがするので、グッズ制作会社の人も、その雰囲気を察知してか、「これは大丈夫なんですか?」と何度も聞いてくるので、「大丈夫です!」と。(笑)なので、みなさん300円という安さですし、10枚くらい買って友達にお土産に配っていただけるとうれしいです。ポストカードやクリアファイルもあります。もちろん、他の先生のオリジナルグッズもたくさん作りましたので、帰りには、ぜひショップへ。「谷ゆき子きせかえ」は、小西さんが元データとなる現物をお持ちだったので、かなりきれいに再現できていると思います。なぜか「対象年齢15歳以上」になっていますが、おうちで遊んでください。
ヤマダ:谷さんご自身はお亡くなりになっていらっしゃるんですが、許可をくださった心の広い遺族の方にお礼をいっておかなければならないですね。
倉持:この場を借りて、御礼申し上げます。本当にありがとうございます。
ヤマダ:このように、学年誌の破天荒な物語をはらはらどきどきしながら、こどもの時に楽しめていたとかを、今振り返って、楽しめてしまう面白さが素晴らしい。こういう面白い部分があるというのを、内内では楽しみつつも、表に出すのは、案外しにくいから避けがちなんですが、そこを展示や図録に反映できたのは良かった。メインストリームのことを紹介できていることは、当たり前だけど、実現できたことは素晴らしかったし、山岸さんの作品を展示できたことも奇跡に近いことですが、あわせて、一見主流じゃないけどマンガとしてすごく大事なところが紹介できているのが今回のバレエ・マンガ展の素敵なところかなと思います。
現実のバレエのこともきっちりフォローできているという所もすごくありがたいことで、芳賀さん、ありがとうございます。
芳賀:現実のバレエとの関係という点ですと、「火の鳥」とか当時はすごいポピュラーでも、今ではあまり上演されなくなったバレエ・リュスの作品というリアルとさりげなくリンクしている部分があるんですね。日本では上演されていなくても写真で見たりして、当時のリアルなバレエ世界とリンクしている場合とかあるので、その辺りが私はすごく面白かったです。
今回、マンガの中にとりあげられているリアル作品と、オリジナル作品のリストを作りたいと思ったのですが、想像以上の量だったこともあり、果たせずに終わってしまいました。今後機会を探してやってみたいと思います。「白鳥の湖」や「コッペリア」は本当に良くでてくるけども、すごくマイナーな作品もとりあげられている、そのアンテナをどう張ってたのかというのが面白いなと感じていますし、現実とのリンクも気になります。
雑誌しかなくて、動画を見たことがないのに、マンガとしてすごくビビッドになっていたりとか、やっぱり作家の見方、関心というのが結実した形のバレエ・マンガというのはとても面白いなと今回改めて思いました。
もよ:資料の話では、貸本時代のバレエ・マンガでは、似たようなポーズが出てきているのに気づくのですが、昔は資料も限られていたので、マンガ家さんたちが同じ映画や雑誌を参考にしていたためかもしれないと思いました。
ヤマダ:私たち話したいこといっぱいありすぎて、ここにリストアップしてきたんですが、この辺で。質疑の時間もなくなってしまいますし。
★質疑応答
質問1:私は「まりちゃんシリーズ」からはいって、バレエ・マンガを読んでいくようになりました。海外でおけいこごとのバレエをしていたので「日本に帰ってバレエ教室にはいるとこんなにいじめられちゃうんだ」と思いました。色んなジャンルのマンガを読んでいますが、バレエ・マンガほどヒロインの時代的な背景が反映されているジャンルはないと思います。
「まりちゃん」も「アラベスク」のノンナも、不遇な境遇から、プリマになっていくみたいな物から、「SWAN」の真澄の時代になっていくと自己の内面と葛藤しつつ、精神論とか、自分のなやみを反映させていくヒロインがでてきて、そのあと「トウ・シューズ」のくるみちゃんとか「Do Da Dancin'!」の鯛子ちゃんとか、天真爛漫なただバレエが好きで進んできました、というようなヒロインがでてきたと思うんです。バレエ・マンガを研究なさっている皆さんの目から見てそれぞれ印象的な作品やヒロインがあれば教えていただいて、読み進める参考にさせていただきたいと思います。
ヤマダ:内面を掘り下げていくヒロインは「アラベスク」から始まっているんですね。少女マンガ自体のヒロインっていうのが、家庭が貧乏であることから、精神の貧乏に移行して、内面をほりさげる、コンプレックスと葛藤するというのは、山岸さんよりちょっと前の作家さんが色々描いているんですけど、コンプレックスとの葛藤、自分の内面との葛藤というのをアーティストとしての表現に昇華していくということを、端的に作ったのが「アラベスク」じゃないかといわれてます。
藤本由香里さんの文章の中で、ここは、と思ったのは「バレリーナっていうのは、努力してなれるお姫様なんだね、だからみんなバレエ・マンガが好きなんだね」という指摘で、それはどういうことかというと、本当のお姫様は血筋でしかなれないじゃないですか。あるいはお金持ちの男の人に見初められて成り上がっていく、それも本当は大変なんですが、そういう形でしかなれないけど、バレリーナっていうのは、色々あるかもしれないけど、身分とかじゃなく、努力してなれるお姫様。きれいな服を着て、舞台の中央に出てみんなの注目の的になる、そういうところが女の子がみんな夢中になった理由じゃないかというのを指摘されています。どんどん変わってきていると思うんですがそこの部分はあまり変わっていない。 上原きみ子さんも指摘している部分じゃないかなとも思います。
倉持:補足ですが、バレリーナが自分の足で切り開く憧れだということは、マンガ評論家の故・米沢嘉博さんが指摘されていて、藤本さんは、今回の図録で、そうした部分をさらに深めてくださったと思います。
岩下:時代の変化ということでは、学年誌の場合、谷ゆきこ先生のマンガには恋愛の話がほとんど出てこないのですが、上原きみこ先生の「まりちゃんシリーズ」になると、恋愛要素が当たり前のように低学年から出てくる。初登場が『小学一年生』なのに、最終的にはプロポーズされたりするので、いったいまりちゃんは何才なのか、全然わからなくなりますが。バレエ・マンガは少女マンガにとってある意味典型的なテーマです。それだけに恋愛の変わり方も含めて、時代の変化、少女マンガ自体の変化が見てとりやすいジャンルなんだなと今回改めて感じました。
ちなみに今回原画が出ている「まりちゃんシリーズ」は雑誌で連載されたあと、上原先生の所に戻って段ボールに入ってから一度も出てきていない単行本未収録のものなので必見です。
もよ:「アラベスク」が出た時「今更バレエ・マンガ?」と思ったことを覚えているのですが、読んで「今までのバレエ・マンガと全然違う!」と驚きました。逆に考えると、それ以前のバレエ・マンガをリアルなバレエとは捉えていなかったということかなと思いました。
ヤマダ:インタビューさせていただいた先生方も何人かおっしゃっていますが、「アラベスク」の登場の衝撃はすごかったみたいですね、私はそれがわからない世代で、あとで読んでびっくり、の世代です。 今まで話に出てないお薦めの作品としては萩尾さんの「感謝知らずの男」(1991年)が好きかな。お答えになったでしょうか。
倉持:私は90年代の少女マンガの世代ですが、そこは、ぽかんと少女に向けられたバレエ・マンガが空白になっていた時代だと思います。その中で私が唯一リアルタイムで触れたのが水沢めぐみ先生の「トウ・シューズ」。少女に向けられたバレエ・マンガの憧れを90年代に描いたことや、『りぼん』で改めてそれを描いたという点はとても重要なことだと思います。また、少女マンガ研究ではどうしても「24年組」の作家や1970年代の作家をフューチャーしがちで、90年代の『りぼん』で活躍したような作家はなかなか研究の場で取り上げられにくいと感じていました。改めてこのあたりについての研究者が増えてくれたら嬉しいということもあり、入れました。会期中に、水沢先生のトークショーもありますので、よろしければそちらもお越し下さい。
質問2:少女マンガのバレエ・マンガの発展という話がメインでしたが、「昴」(『週刊ビッグコミックスピリッツ』2000年〜02年、05年〜11年)も展示してありましたよね。青年マンガあるいは少年マンガのバレエ作品というのは、少女マンガからの派生なんでしょうか。
ヤマダ:青年漫画にバレエ・マンガが出てきたということは衝撃的なことでしたね。
山岸凉子さんが「テレプシコーラ」(第一部『ダ・ヴィンチ』2000年〜06年)、槇村さとるさんが「Do Da Dancin'!」(『YOU』2001年〜05年)を描かれるのとほどんと同じくして、青年誌でバレエ・マンガが始まりました。青年誌の作品として、男性向けのマンガの表現としてバレエ・マンガを描かれるというのは、バレエ・マンガというジャンルがだんだん育っていって、青年誌のほうに知らぬうちに少女マンガから学ばれていった、もうあるものとして多分なんとなく吸収していく中で、バレエ・マンガを青年誌で描いてもいいじゃないかみたいな形で出てきたものだと思うので、それは私はやはり少女マンガの発展、積み重ねの中から出てきたひとつの素敵な作品が「昴」ではないかというふうに思います。
芳賀:「昴」に関しては、実際に東京バレエ団に協力してもらい、稽古やリハーサルまで取材して描いたそうですね。取材をした結果の作品としてマンガはせっかくある程度の完成度があったのに、映画になったのを見て「これでいいのか?」という気がしたのは事実です。
ヤマダ:昔からバレエ・マンガが好きで、バレエ自体に詳しい人は「昴」あまり好きじゃない方がいますね。私はこんなバレエ・マンガは見たことなかった。汗いっぱいで、独楽みたいに回ってて、ひょっとしてバレエ的な常識からすごくはずれるところがいっぱいあるだろうけど、マンガとして面白い。出た時のびっくり加減は「昴」はとてもすごかったので、ラインナップにどうしてもいれたいと思いました。
芳賀:稽古場から取材して描いているからでしょうけれど、汗やスポーツ的な側面のリアリティはすごく高いように思います。ただ、バレエを見ている人からすると、裏側はあまり見たくないという面もあります。たとえばバレエのプログラムに稽古着のダンサーが載るのは非常に近年のことで、それまでは今ほどリアルな稽古姿は載っていませんでした。今でも両方の意見があるんです。「普段をみたい」という声と「夢の中において欲しい」という声と。同じ時期の「テレプシコーラ」にしろ「Do Da Dancin'!」にしろ、非常にリアリティの高いバレエ・マンガが2000年代に出たというのが言えるんじゃないかと思います。
岩下:芳賀さんが、“「昴」は他のバレエ・マンガと違って、断ち切りなどで手や足が見切れる場面がすごく多い”とおっしゃっていたのが印象に残っています。つまり、美しいポーズをぴたっと描いてコマの中に収めるというよりも、「昴」では勢いや躍動感みたいなものを表現しようとしている。全身入れてきれいに描くというのとは違うやりかたをしているのだと改めて発見しました。
倉持:やはりバレエ・マンガって少女マンガのものというイメージがありますが、「昴」は青年誌で堂々とバレエものに挑戦した、そうした状況そのものが、少女マンガのボーダレスな現状を表しているように思いました。今、何をもって少女マンガと呼ぶかは非常に悩ましいです。「昴」は、そういう現状そのものを表す作品だと思ったので、その意味でもどうしても入れたいと思いました。
★図録について
倉持:最後に、図録を担当してくださった太田出版の編集者の的場さんも会場にいらっしゃいますので、少しお話うかがいたいと思います。
的場:図録の作成をした太田出版の的場と申します。図録をもう手に取っていただいている方を見て、感激です。 こぼれ話的な感じで、図録の読みどころと、それに関連した展示の見どころとをお話したいと思います。
そもそも私は、図録専門の編集者とかではまったくなくて、太田出版って、サブカルチャーの出版社というイメージが強いと思うんですが、今回、展覧会の図録ですがネット書店でも買えるカタログを作りました。
私は萩尾望都さんと山岸凉子さんがすごく好きで、ファンとして一緒にお仕事をしたいと思っていたんです。 今回、展示を拝見させていただいてすごく面白かったのは、山岸さんのお描きになっている図録の表紙になっている「アラベスク」の絵の原画が展示されていて、掲載雑誌も展示されていて、見比べられるのですが、原画が印刷のものと全然色が違うんですね。図録ではちょっとサーモンピンクっぽい、すこしオレンジがかったピンクなんですけども、原画を見ると、もっとドピンクなんですね。
「アラベスク」が70年代に描き上げられてから40年くらい経っているので、ものによっては退色してしまっていたり、日に焼けていたりで、少し色が変わったものが多いです。なので、雑誌掲載のものと原画と見比べても色が違うのですが、始めにメディアファクトリーの編集者さんから「色味は原画のまま再現しないでください。理想の図は先生の頭の中にあります」と言われたので、初めて色校する時、すごいドキドキしていたんですが、今回かなり理想に近い色になったということです。なので、山岸先生の頭の中にある理想の色は原画より図録のほうが近い、というパラドックスが起こっています。そう思いながら観ていただけると図録も面白いかなと思います。
ヤマダ:図録の中のどの絵も作家さんが印刷の色味のチェックしているので、図録を持ちながら展示を見ていただくと比較ができるってことですね。
的場:はい。あと山岸先生のインタビューも今回2万字くらいの超ロングインタビューですが、先日コミックナタリーで記事が出ていたように一番の読みどころは、なぜ「テレプシコーラ」の第三部が描かれないのかという疑問に初めて答えたということです。ヤマダさんと私は二年ぐらい前に萩尾先生との対談の際に山岸先生から聞いていたんですが、まだ「テレプシコーラ」が終わったばかりでこの話は表に出せないということでした。言いたい、でも言えないっていうのが二年続いて、今回やっと「出していいよ」と言っていただいたので、私の自己実現的にも素敵な展示になりました。山岸先生の話ばかりになりましたが、読み応えのあるインタビューですので、ぜひどうぞ。
ヤマダ:山岸ファン、マンガファンにもそれは素敵情報だと思います。 この場にバレエのことが大好きで来ている方もいると思うのですが、バレエのことを自分の体験として言葉にされているものを見るのって案外少ないと思うんですよね、そういう意味では、各先生のお話くださっているインタビューとか証言というかは、日本でのバレエ受容史という意味でも意義深い内容になっていると思います。その目線でも見ていただきたいし、まわりに、マンガはあまり詳しくないけれど、バレエは好きという方がいらしたら、図録に載っているインタビューでは、バレエを楽しみ、表現者になっている人達のお話が読めるよって、教えていただければいいかなあと思います。
芳賀:バレエ受容の受け皿としての、そしてその受容が発展したものとしてのバレエ・マンガを、こんな機会がなければ見ることがなかったようなものを色々見せていただいて、今回ほんとにいい機会をいただいたなと思っています。会期が長いですので、バレエをお好きな方と、マンガをお好きな方の接点としてこの展覧会があればいいなと思っています。それと、外国のバレエ・マンガについては今回調べられなかった疑問がいっぱいあるんですね、それについてもぜひ情報をお寄せいただけたらと思います。今後第二弾ということもできるといいですね。
ヤマダ:最近の海外マンガでは2012年にアングレーム国際漫画祭で最終選考に残った「ポリーナ」という作品もありますね。世界中にマンガとかバレエとか、色々な交流が生まれて大きな楽しいことができるといいですね。
倉持:まだまだ言い尽くせないところがたくさんありますが、展示の最後のリード文に、「バレエとバレエ・マンガよ永遠に」と書かせていただいています。まさにそういう展示・図録になったと自負しています。長時間おつきあいいただき、ありがとうございました。
(終わり)
作成:2013/9/21 バレエ・マンガ研究会 2013/9/25一部訂正
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