【萩研◇超速攻レビュー】
『バルバラ異界』
その1★世界の中心であるわたし

『月刊フラワーズ』2002年9月号(小学館)
巻頭カラー32ページ・萩尾望都作品



2002/7/29-31 update
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01
卯月もよ ■パンケーキのレシピ教えて
02
小西優里 ■バルバラ異界で温めのお湯に浸かってみよう
03 天野章生 ■扉がひらくとき
04 岸田志野 ■行く先のわからぬ船、だが私は乗った!
05 城野ふさみ ■とにかく読むしかないでしょ?



パンケーキのレシピ教えて

text: 卯月もよ
update:2002/7
/31

 精霊の島、飛ぶ子供。予告を見て『精霊狩り』のダーナ達を思い浮かべたのは私だけではないはず。新シリーズはやはりSF。暗い物語のあとは軽いコメディーと予想したがハズレ? 複雑な、要素の多そうな、もしかしたら長ぁくなりそうな、物語が開幕した。
 “バルバラ”って名前には意味があるんだろうか。私が知ってるバルバラは黒いドレスのシャンソン歌手だけど、このバルバラは「歌」には関係ないらしい。「飢えないためのレシピ」意外なサブタイトル。「食」がポイントであるらしい。ドーナツ、パンケーキ、ヤギの乳、イチジク、実をつける木々や草花。そんな豊かそうな環境もバルバラの子供を育てるには何かが足りない。平和そうなバルバラの日常のあちこちに不安が漂ってる。砂漠に囲まれ子供の生まれぬ世界“マージナル”と、海に囲まれ子供の育ちにくい“バルバラ”。どこか似ている・・。
 「あたしはバルバラが世界の中心だと思っていた」子供ってのは世界は自分を中心に回ってると思っているものだ。おまけに子供の想像の及ぶ世界は小さい。バルバラ以外の世界なんか知らない。いや世界の全体像なんて、大人にだってわかりはしない。この世界がだれかの見ている夢でなく、本当に存在しているかどうかさえ・・。
 だがバルバラの大人が「外」と呼ぶ世界がある。ダイヤ母ちゃんは飛ぶ子供を産んだために「外」で暮らせなくなったのか(・・としたらタカは何歳!?)。バルバラの大人達は何故飛ばない。21歳の千里さんが祖父に飛ぶのを「みっともない」と怒られるのは何故(眠りのサイクルの長い千里さんってダーナの息子ルトルみたい!)。
 そして「よそ者」青羽はバルバラの物を食べてすくすく育っているのにちっとも飛べやしない。青羽は海の向こうから来た子供。月の妖精の取替え子。ただの人間だから・・? ならばどうして精霊の島で育てられているのか。その秘密を解くのは青羽の見る魚の夢。それともマーちゃんのパンケーキのレシピ・・。

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バルバラ異界で温めのお湯に浸かってみよう

text: 小西優里
update:2002/7
/29

 『残酷な神が支配する』最終回から早1年、過ぎてみれば短くも思う。書店の平台に並べられた『フラワーズ9月号』には端正な少女のアップと、どでかい蛍光ピンクの萩尾望都の文字。心躍るのが止められない。
 まず言っておきたい。この32ページ、余計な雑念を感じることなくその世界にまっすぐ没入できた。これがほんとに嬉しかった! 一年間の休筆というブランクを全く感じさせない、以前と同じ萩尾望都の名調子は健在だ。前作には深刻で緊張した空気がいつも流れていたが、今回は違う。丁度よい心地良さ、温めのお湯にゆっくり浸かってほうっと一瞬時が止まったような、そんな静かな始まりである。1年も作品を発表しない(=描かない)ということが作家にとってどれだけの負荷になるのか私には計りかねるが、それにしても萩尾望都はなぜこんなにスムーズに、何もなかったように創作最前線に戻ってこれるのか。萩研で長期休暇で筆が鈍らないかと話題になったとき「発表しないとはいえ、きっと毎日描いているに違いない(描かないわけがないという思い込みに準拠)」という結論が出た。そうなのか。この新作はその証明か。しかしファンとしては「やっぱり萩尾はバケモノ」説というのも捨てがたい。普通の人とはきっと流れる時間が違うのだ、彼女は。
 さて、その新作『バルバラ異界』。
 物語は6-7才くらいの少女・青羽(アオバ)を中心に、様々なバルバラ島の住民たちが登場する。さっきの話ではないが、ここではなぜか時間軸がちぐはぐだ。30年前から今と同じように子役をしていたという少女スターがいるかと思えば、きちんと年齢を重ねたらしい美青年もいる(彼はまるまる2ヶ月眠っていたりするし、廻りは皆、夏服なのに祖父と彼だけは冬服を着ている)。青羽の隣りに住んでいるタカとパインは仲良しの遊び友だちだが、彼らはふわふわ宙に浮くことができる。屋根の上には身体に葉っぱをたくさん生やして光合成をしているお姉さんたち(精霊か?)もいる。この島ではそれが普通で、人間で飛べない青羽の方が異質らしい。
 ここで、この島の名前の意味を引いたら興味深いことが出てきた。バルバラ=Barbara(バーバラ)は女性名。ギリシャ語 barbaros 「ギリシャ人でない」「外国人の」に由来し、barbarian 「野蛮人」の語源でもある。萩尾によってバルバラと名付けられたここには異端者が集められ、「子どもを食っている」(これぞ野蛮の究極?)とまで言われるほど子どもは育ちにくく、外世界と内(バルバラ)という構造に登場人物の誰もが囚われている。これはやっぱりハギオ的ネーミングだ。
 そしてもうひとつ、St. Barbara=聖バルバラの物語も意味深だった。
 3世紀頃、異教徒ディオスコルス王の娘として生まれたバルバラだが、彼女がキリスト信仰者になるのを怖れた父は彼女を塔に幽閉した。しかし彼女は父の不在中に洗礼を受け、塔に三位一体を現す3番目の窓を開ける。激怒した父は彼女を殺すが、父もその後、落雷に遭って死ぬ。以上のことから、聖バルバラは爆発事故、火傷からの守り神となる。これは「人工衛星の爆発事故」が頻繁にあったというエピソードとなんとなく繋がるし、未来を怖れて娘を塔に幽閉するというイメージもマーちゃんの養子という青羽の現状を勘ぐらせるに足りる。また、聖バルバラ伝説には「麦」も重要な要素らしく、これは副題の“飢えないレシピ”(マーちゃんのパンケーキ?)にも関連がありそうだ。こんなふうにこの伝説には想像を巡らせるに充分な「もしかしてそうなのかも」が満載だった。青羽の過去を知っている謎の男もすでに登場していることだし、来月ふんふんとうなずけるか、そうでないか。
 しかし上記の正誤は別にして、連載第1回【世界の中心であるわたし】はさすがにSFファンタジーだ。ちょっと見は普通の顔をしているが、登場人物は常識では計れず、全てが作者の語り待ちである。予告でも微妙に長期シリーズ化を臭わせていたが、「前編」改め「その1」「その2」と続くということは「その3」以降もあるのだろう。萩尾作品ではいつもだが、今回も展開が未知数、読むたびに味が出てくるタイプの作品。しかし、この調子だと次を読まなきゃこんなの何も語れないよ、どうする!? と来月も私たちは言っていそうな気配である。こりゃ困ったね(笑)。

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扉がひらくとき

text: 天野章生
update:2002/7
/29

 好きな作家の新作を読むのは、朝早く真新しい雪の上に足跡をつけていくのに似ているかも知れない。きゅっと踏みしめた雪の下ではそれでも馴染み深い肥えた土がある。長い年月の中でたくさん花を咲かせてきた土。雪が溶けると撒かれた種が一気に芽を出し伸び始めるような…。(今は夏だから海開きの砂浜の上を熱い砂を裸足に感じながら遙かに広がる海に向かって駆け下りていくような、なんて言った方がいいんだろうけど。)
 ともあれ、新しい萩尾世界の扉が開いた。異世界にすーっと招き入れられ、カラーの表紙にも扉絵にもどきどきわくわくする。それは金色の明るい雰囲気で始まったのだけども、油断大敵、あっかるい!世界だけではきっと終わらない筈。
 馴染み深い肥えた土。これまで萩尾世界を幾つも幾つも味わってきた読者には、きっとぴん!とくる。幼なじみの正三角形、子どもが育ちづらい不毛な世界、居心地の悪い異邦人…などなど、初めての異世界でありながらも、踏みしめた土は足にごく自然に馴染む。ぐぐっと踏み込んで大きく息を吸うと、何も戸惑うことなく扉の中にいた。『バルバラ異界』という名の。
 元ネタ探し好きとしては、さてこのバルバラはいったいどこからかな〜などとああも思い、こうも思いするのだが、そこはそれ、まだ始まったばかりの物語。あれこれ想像する楽しさを残しつつ、次の扉が開くのを待とう、というところ。
 告白すると、萩尾の連載を最初からきちんと雑誌でリアルタイムで追う経験は数えるほどしかしていない。ポーにもトーマにも間に合わなかった遅れてきたファンである。だけど幸い、まだまだこれからもオンタイムで読むチャンスがたくさんあるようだ。ベテラン読者も新米読者も一緒に開ける新しい扉。さあ、皆様もご一緒に。

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行く先のわからぬ船、だが私は乗った!

text: 岸田志野
update:2002/7
/29

 まったく今更なことを言うようだが、やっぱり雑誌はイイのである。大きくてカラーもある。萩尾望都の見るでっかいでっかい夢の世界を写すには、やはりこのサイズが最低でも欲しい。そんなところから嬉しい、萩尾望都新連載である。
 まあ、欲を言えば。映画のセットのように実物大に再現した萩尾ワールドで、ひがな一日ぶらぶらのんびりしてみたい、というのは前々からの私の妄想であったりする。今回の新作『バルバラ異界』の舞台、バルバラもまた、同じ気持ちにさせてくれる魅力的な風景であった。
 光が燦々と降り注ぐ、ペールトーンの精霊の島。人がいて、子供がいて、ヤギがいて、屋根の上には精霊がひなたぼっこまでしている。パンの焼ける良い匂いのする街、バスが走り、テレビではテレビショッピングをやっていて、人々がしっかりと生活をしている。野原を走る子供のなびく髪で、そこに吹く風がどれだけ新鮮に薫るかがわかり、謎めいた美形(!)が揚げる凧にどこまでも澄んだ空の高さを知る。美しい、美しい景色。
 もちろん、世界は“綺麗なもの”だけではこんなに生き生きとした躍動感をもって見えない。そこはかとなくその世界に在る不安、不穏。光の後ろにある影もあってこそ。その陰影をもって立体的にリアルに映るのだ。バルバラにもどうやらあるらしい…子供がなかなか育たない、余所者…“外”。
 はっきり言ってしまえば、これから先始まろうとする物語がどんなものなのか、連載第一回じゃあわかりません。見知らぬ不思議の国に降り立ったばかりの旅人のような私である。だが、この先どうなるかわからないから心震える。在るのは目の前に広がるこの世界と、「予感」だけ。とんでもなくわくわくさせてくれる、予感。
 ただでもこんなにわくわくするというのに、今回のサブタイトルは【世界の中心であるわたし】、そして次回は【中心の移行にともなうわたしの移動】ですよ皆さん! これが何を意味するかって、「まだまだマップは一部です」ってことである。“わたし”はこれから移動して、この世界を記す地図はどんどん広がって行く予定なのである。先月号予告では前後編と銘打ってあったにも関わらず、なんか蓋あけてみたら違うみたいだし…もう、期待せずにはおられません。ええ、どこまでも連れてっちゃってください、萩尾センセイ!!
 というワケで、まだ船は港にある。今なら未だ間に合う、未読の皆さんは速攻本屋さんに行って『flowers』を買おう、買って異世界の旅に共に出ましょう。夏休みだし。オトナになったって、夏休みには、いや夏休みが終わっても、どっか行きたい、これ当たり前!
 …え?コミックス出たら買うって?…いや、それでもいいけど…でもこの先どうなっちゃうんだろ?のわくわくは、リアルタイムでのほうがより…雑誌は大きくてカラーもあるし…。

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とにかく読むしかないでしょ?

text: 城野ふさみ
update:2002/7
/29

 前編だと思って読んだらあっという間に32ページでビックリ、連載だよ。32ページの間にジグゾーパズルのピースが沢山ばら撒かれて終わってしまった感じ。
 ね、ちょっと漫画の描き方変わったような気がするのはSFだからかな〜具体的に判んないとこが情けないぞ〜。(でも10年前も同じこと言ってました)
 にしたって10年ぶりの新連載だよ〜。連載と前後編じゃ読む側の心構えが違うわけですよ。起床転結の起床まで行くんだと思って読んだら起で終わっちゃうんだもん〜! 嬉しい肩透かし。
前後編と考えて設定してネーム切ったけどちょっと足りないから連載にしましょう〜〜なのかしら???だったらそんなに長い連載にはならないだろうからコミック1冊分??ああ〜もうっ余計なお世話な! なに邪道なこと考えてんだ〜でもだよ、コミック1冊分なら5回〜6回連載くらいかな??じゃあ来年の1〜2月号までは毎週萩尾望都が見られるわけだ。新連載と言うことはばら撒かれた謎は来月号では消化されないってことで、なんだったらまだまだ謎は増えていくのだ。うわーうれしいいぃー。なんたって萩尾漫画ってやつは一話一話の中で少しづつばら撒かれるヒントで萩尾ワールドにどこまでついていけるかって言うのも楽しみの一つで、撒かれる謎とヒントを拾い上げて世界を構成していくこの楽しさ〜たまらない作業なんですよー。そんで萩尾のSFは最終話の急降下がなんたって気持ち良い。謎のパズルピースがガツンガツン嵌っていく楽しさときたらあなた、快感以外の何者でもないわけですよ。ばら撒かれたピースがいかに収まっていくのかを想像しつつ第1話目のピースをかき集めるわけだ。精霊のすむ町バルバラ。唯一の人間青羽。妖精。過去の事件。この世界の成り立ちは?バルバラとは?青羽は何故バルバラにいるのか?
 もしや前後編100ページを32ページ3回連載に切り替えただけだったらちょっと悔しいぞ。短編になるのか長篇になるのか、はたまたシリーズものなのか???
 とりあえず何も判んない今、個性豊かな登場人物達の中の誰に傾倒しても良いように準備体操しながら訳の判らない独り言を繰り返しているわけです。私ってば大丈夫か?

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