最終更新日:2000/2/19

仮想書庫資料

仮想書庫資料 File No. 01
漫画読みのためのバレエ作品紹介(No.11-20)

バレエ作品紹介 11
ショパニアーナ

フォーキンがグラズノーフの編曲したショパンの小品に振り付けたロマンティックバレエの傑作。『レ・シルフィード』のこと。

「レ・シルフィード」のこと。ロシアでは「ショパニアーナ」と呼ばれる。
振付 ミハイル・フォーキン
音楽 フレデリック・ショパン
初演 マリインスキー劇場
   1908年3月8日

初演されたものは、ポロネーズ、ノクターン、ワルツ、マズルカ、タランテラの5曲から成り立っており、出演はパヴロワ、ウラコーヴァ、セドーヴァ、ブルガーコフ、ゲールトほか群舞の人たち。
第2版は「ロマンティックな夢」との副題を持ち、ポロネーズ、ノクターン、プレリュード、3つのワルツ、2つのマズルカから成っていた。
編曲は同じくグラズノーフのものを元としている。
第2版の初演はプレオブラジェンカ、パヴロワ、カルサーヴィナ、ニジンスキーなどが名を連ねていた。
1909年6月2日のロシア・バレエ団のパリ公演のためシャトレ劇場で上演されたものはこの第2版にもとづいている。
その後も旧ソ連や西欧諸国でくり返し上演されている。
この作品はショパンの曲に踊りをつけたものでまとまった筋書きはない。
衣装から「白のバレエ」と呼ばれるロマンティック・バレエ作品の代表的作品でもあり、振付師フォーキンの代表作でもある。
ポワント(爪先立ちで踊る)を本格的に駆使してバレエ史にその名を残したマリー・タリオーニの「ラ・シルフィード」とは筋的には関係がないとされる。

 

バレエ作品紹介 12
カルメン

原作はプロスペリ・メリメの「カルメン」。ビゼー作曲の音楽に合わせてローラン・プティがバレエ化した。奔放なカルメンと彼女に惹かれて身を持ち崩し、最後には彼女を愛しながらも殺してしまうドン・ホセの悲劇。

プティ版(1949) 音楽 ジョルジュ・ビゼー
アロンソ版(1967)音楽 ジョルジュ・ビゼー、ロジオン・シチェドリン
クランコ版(1971)音楽 ジョルジュ・ビゼー
ガデス版(1983)音楽 ジョルジュ・ビゼー 他
*( )内の数字は初演年

初演は1949年2月のロンドン、プリンセス・シアター。主演はルネ・ジャンメールのカルメン、プティのホセ、美術はアントン・クラーベ。
以後もジャン・メールとバリシニコフ、ドミニク・カルフーニとデニス・ガニオといったコンビで「カルメン」は踊られてきており成功を収めている。
プティの「カルメン」はビゼーの意図に忠実ではあったが、オペラの筋を直接たどったものではなく、カルメンとホセの恋愛の抽象化が主軸で、原作のスペインのエスニックな雰囲気が排除されていた。
これに対し、カルメンという女性像を描くことに主軸をおいたのが、マリヤ・プリセツカヤが初演した『カルメン組曲』であった。
彼女は夫である作曲家シチェドリンにビゼーの音楽を元に曲を依頼し、振付をアルベルト・アロンソに依頼した。その成立までの経過は彼女の自伝『闘う白鳥』(文芸春秋社)にも出ている。
その作品の構成はプティよりはるかにスペイン的で、カルメン像を強烈なものにした。

 

バレエ作品紹介 13
牧神の午後

この作品の元になったのは、フランス詩の最高傑作とも言われるステファヌ・マラルメの『牧神の午後』。ニジンスキーの初めての振付作品。
ニンフたちに相手にされない牧神のさまを描いたモノ。初演時、ラストで牧神の自慰シーンを演じスキャンダルとなった。意見が二つに分かれたが、ロダンを始めとする芸術家達の擁護によって評価は高まった。

ニジンスキー版(1912) ロビンズ版(1953) キリアン版(1986)
*( )内の数字は初演年

「かの水波女(ニンフ)ら、とこしへに存へまほし。叢がる安眠に睡る空を翻るかと 鮮やかな、そのかろらかの肌の色。夢幻に耽りしか」(鈴木信太郎訳)で始まる長詩ははじめは独白劇として書かれたが、上演は断られたために1876年にマネの挿し絵入りの豪華本として自費出版された。
1892年にドビュッシーがマラルメに捧げるオマージュとして『牧神の午後への前奏曲』を作曲した。初演を聴いたマラルメも賛辞を送っている。
そしてマラルメ自身もバレエ化を構想していたらしいこの作品は、ニジンスキーが初めて振り付けた作品として、ロシア・バレエ団によりシャトレ劇場で1912年5月29日に初演された。
ニジンスキーにディアギレフが曲を持ち込み提案したのであった。
孤独な牧神のイメージはニジンスキーの気持ちに合致し、彼は妹のニジンスカと比較的短い期間で振付を完成させたが、その稽古には長い時間がかかった。
彼の振付の仕方はフォーキンとは全く異なった独特のものだったという。
ダンサーに役作りに参加させたフォーキンと正反対に、ニジンスキーは彼のイメージの通りに踊ることを要求した。
そして、このバレエでは彼の得意とする跳躍を全く使わず、ギリシャのレリーフなどから着想を得た平面的な動きを目指した。従来の古典バレエが跳躍と旋回を駆使し重力からの自由を目指していた本質とまったく逆をいったのだった。彼の振付作品は数こそ少ないが、この革新性は暗黒舞踏につながるものであり、バレエ史に残るものであった。
初演時、牧神の自慰を演じて見せたために多くの罵倒と、一部の芸術家達の賛美という極端な評価を得たこの作品は大きな話題となった。

〜内容〜
ギリシア神話の世界。半身が人間、半身が獣の牧神が夏のけだるい午後を岩の上で過ごしている。葦笛を吹き、葡萄をほうばり・・そこへ7人のニンフたちが近くの湖に沐浴にやってきた。牧神は彼女らに近寄るが、相手は牧神の姿に驚き、逃げていく。結局一人だけが残るが、求愛し、抱きしめようとするとやはり脅えて逃げていってしまう。
最後、牧神は彼女の残したスカーフを手に岩に戻り、彼女を愛撫するかのようにその上に体を横たえて自慰する。

 

バレエ作品紹介 14
パ・ド・カトル

パ・ド・カトルとは4人の踊りという意味であるが、この名前でバレエ史に残ったのはロンドン王立劇場で1845年に初演されたもの。当時トップクラスだった4人のバレリーナによって踊られた。まとまった筋はない。

ペロー版(1845) 音楽 チェーザレ・プーニ
アントン・ドーリン版(1941)
*( )内の数字は初演年

パ・ド・カトルとは4人の踊りという意味であるが、この名前でバレエ史に残ったのはロンドン王立劇場で1845年に初演されたもの。
ロンドン王立劇場の支配人であったベンジャミン・ラムリーが、当時世界の四大バレリーナと謳われていたマリー・タリオーニ、ファニー・エルスラー、カルロッタ・グリジ、ファニー・チェリートを一堂に集めて一つの作品で踊らせようと企画したのだった。
4人はそれぞれにトップとしての自負が強くそれまで顔を合わせることがなかった。結局タリオーニとエルスラーを共演させることは出来ず、エルスラーの代わりにルシル・グラーンを加えての踊りになった。
グリジの夫であるプーニは4人の振付に大変な苦労をしたそうだ。
この時の『パ・ド・カトル』はシャロン作の石版画になっているが、2年後にグランに代わってロザティが加わって再演されたあとは絶えて上演されることがなく、振付も残されていない。
現在上演されているのは1941年にアントン・ドーリンが振り付けたもの。
まとまった筋はないが、踊る4人が甲乙つけがたい実力の持ち主の共演ということが重要なバレエ。

 

バレエ作品紹介 15
ドン・キホーテ

原作は17世紀のスペインの作家、ミゲル・デ・セルバンテス・サベドーラの『奇想天外の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』。騎士物語にとりつかれた男が自分を騎士だと思いこんで旅をする。ガラコンサートなどでよく踊られるのは最終幕で踊られるキトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥ。

ノヴェール版(1801) ポール・タリオーニ版(1850)
プティパ版(1869) ゴールスキー版(1900)ヌレエフ版(1966)

*( )内の数字は初演年

音楽はレオン・ミンクス。

この作品がバレエにとりあげられたのは古いがノヴェール版やタリオーニ版はスペイン舞踊とクラシックバレエの融合として踊られたらしい。
現在の形になったのはプティパが1869年にモスクワ帝室劇場(現ボリショイ劇場)に依頼されて初演したもの。
中でも最終幕で踊られるキトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥは踊り手に高いジャンプ力や回転力を要求し人気が高く、よくガラコンサートなどで独立して取り上げられる。
1970年にはヌレエフがオーストラリア・バレエで新演出を発表し、72年には映画化もされている。

〜内容〜
騎士物語にとりつかれたラ・マンチャに住む男が気がおかしくなって自分が騎士となって手柄を立てようと奮い立つ。
男は近所に住む頭の弱い農夫、サンチョ・パンサを従者にし、自らを「ドン・キホーテ」と名乗り、まだ見ぬ夢の姫ドルネシア姫を探しにおいぼれた馬のロシナンテにまたがって旅に出る。
バルセロナの広場の場面。
旅館の娘キトリは、床屋のバジルに色目を使う。周りにおだてられて二人は踊る。そこへ欲張りなキトリの父親ロレンツォが現れ、二人の仲を裂こうとする。父親は娘を金持ちのガマーシュに嫁がせたいと策をめぐらすが、キトリは気取り屋のガマーシュを嫌ってあしらって逃げ出す。
そこへ人気の闘牛士達の登場。活気づいた広場に突然、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが現れ騒然となる。
ドン・キホーテは旅館を城と思いこみ、キトリを姫と思い胸の内をうち明ける。
広場の踊りの輪を舞踏会と勘違いしてみんなとともに踊り出す。
その隙にキトリとバジルは逃げ出す。
駆け落ちした二人をロレンツォらが追ってきた居酒屋の場面。
狂言自殺を図ったバジルにすがりつくキトリにほだされたドン・キホーテがロレンツォに二人の仲を認めさせる。
死んだふりのバジルは喜んで跳ね起きる、コミカルなシーン。
風車小屋のそばでジプシー達が野営しているそばをドン・キホーテが通りかかる。ジプシーが演じる人形劇を見て、現実だと思った彼は芝居小屋に突進。
更に風車を姫を襲う悪漢と槍をもって挑み、羽根に巻き込まれて気絶してしまう。ドン・キホーテは夢うつつでドルネシア姫が妖精の女王たちと踊るのを見る。夢から覚めると通りかかった貴族に助けられて館に同行する。貴族の館の場面。
宴の中、キトリとバジルはドルネシア姫と銀月の騎士を演じる。
姫の魔法を解くには騎士と一戦を交えなければならない、と言われ喜んで挑戦したドン・キホーテは自分の足に足を絡めて降参する。
キトリとバジルが結ばれて晴れやかに踊り宴は続くが、夢やぶれたドン・キホーテは次の冒険への旅だっていく。

バレエ作品紹介 16
パリの炎

フランス革命を題材に、バレエの舞台に革命そのものの描写を持ち込み、革命的情熱を描いた、ワイノーネンの名を不朽にした作品。

振付 ワシーリイ・ワイノーネン
演出 ラドルフ
音楽 ボリス・アサーフィエフ
台本 ウラジミール・ドミートリエフ  ニコライ・ヴォールコフ
初演 レニングラード国立オペラ・バレエ劇場
   1932年11月7日

作曲のアサーフィエフは「ラ・マルセイエーズ」を始めフランス革命当時の曲を盛り込みながら音楽を構成した。

〜内容〜
マルセイユの農家の兄妹、ジャンヌとピエールの父が警備兵に逮捕され、兄妹は革命の流れに巻き込まれていく。
ヴェルサイユの宮廷ではルイ16世と貴族達が宮中劇や舞踏会を催している。
士官や貴族達は革命を恐れ、民衆の勢力をつぶす計画を立てている。
それを偶然知った女優、ミレイユ・ド・ポワチエも民衆の側につき、広場に合流する。
夜のパリ。宮廷前に集まる民衆。パリ、マルセイユ、バスクの人たち。
民衆はヴェルサイユへとなだれこみ、歴史的な勝利を手にし、広場には革命を讃える歌が流れ、人々は喜びの中で踊り続ける。

 

バレエ作品紹介 17
くるみ割り人形

ドイツロマン派の作家ホフマンの原作を大デュマが『くるみ割り人形とねずみの王様』という題の童話に書き直したものを元にしている。くるみ割り人形を貰ったクララが夜中に彼を助けて、おとぎの国に案内される。

イワノフ版(1892) ゴールスキー版(1919) ワイノーネン版(1934)
バランシン版(1954) ホレス・アーミステッド(1954)
グリコローヴィチ版(1966) クランコ版(1966) ヌレエフ版(1967)
ノイマイヤー版(1976) バリシニコフ版(1976) プティ版(1976)
ライト版(1984) シャウフス版(1986)

*( )内の数字は初演年

バレエ化をまず企画したのはマリインスキー劇場総裁ウセヴォロジュスキー。
バレエの台本はマリウス・プティパ、音楽がチャイコフスキー。
振付はプティパが初演の3ヶ月前に病に倒れた為にレフ・イワノフが引き継いだ・・と一般にはされているが、実はこの台本の成立の経過の中で総裁からの書き直し命令があったことと、チャイコフスキーに自分が細かく書き送った意向を無視されたことが彼に振付を手がける気持を最初から失わせていたらしい、ともいう。
書き直し部分というのはプティパが最初盛り込んだフランス革命の内容だった。
保守的な総裁はそれらの内容を一切無くすように指示し、プティパはそれに従ったのだが最終的に病を理由に裏切ったということらしい。
チャイコフスキーは細かいプティパの演出プランの中で作曲を進めたのだが、仲の良かった妹アレクサンドルの死を悼み、彼女への追悼曲とする決意をしたことで、自分たちの幼年期への回顧を込めて、大きな交響絵巻のように音楽を展開することを選び、それが結果的にプティパの意向を無視する形となった。
リカルド・ドリゴの指揮で1892年12月マリインスキー劇場で初演され、音楽は絶賛されたが、イワノフの演出と振付は今ひとつだったらしい。
後にワイノーネンが1934年にレニングラード・キーロフ劇場で上演した版で、少女クララを大人のバレリーナが演じ、くるみ割り人形を王子に変身させ、この二人によって最終幕のグラン・パ・ド・ドゥを踊ることによってストーリーに一貫性をもたせた。
現在まで数多くの演出とともに世界各国で上演されているが、ほとんどがこのワイノーネン版を踏襲している。

〜内容〜
クリスマス・イブ。市会議長スタールバームの居間では大きなクリスマスツリーが飾られている。子供達が入ってきてツリーの周りを興奮して踊る。
やがてお客たちが詰めかけてきて一同は踊る。
そこへ、フリッツとクララの名付け親でもある市会議員ドロッセルマイヤーが現れる。(版によっては人形使いともされる)
彼はピローグとキャベツをプレゼントとして渡すが子供達はがっかり。
すると、老人はそこからバネ仕掛けの人形を取り出して踊らせてみせる。
クララ達が寝る時間となる。
老人はクララにくるみ割り人形を与える。ところが兄妹は人形を取り合い、フリッツは人形を壊してしまう。人形用のベッドに寝かせるクララ。
勝ち誇ったように踊るフリッツ。
パーティが終わり皆が寝静まった夜中、人形を案じて部屋にやってきたクララ。
突如ねずみが現れ部屋を駆け回り、ツリーは巨大化し、お菓子が兵隊人形に変身する。
人形とねずみの戦闘が始まる。
ネズミの王様とくるみ割り人形の一騎打ちになり、人形が危なくなった時クララはスリッパを王様に投げつけたので、くるみ割り人形が勝利を収める。
すると人形が王子に変身し、命を救けてくれたお礼にとクララをお菓子の国に招待してくれる。
雪の精の王様と女王が二人を出迎え、群舞が華麗に踊る。
歓迎の宴が始まり、ディヴェルティスマンが入る。
チョコレート(スペインの踊り)、コーヒー(アラビアの踊り)、お茶(中国の踊り)、トレパック(ロシアの踊り)、あし笛の踊りなどが続く。
最後にクララと王子のグラン・パ・ド・ドゥ(日本では金平糖の踊りと言われる)。一転してクララの部屋。おとぎの国の楽しい宴はクララの夢だった。クララはくるみ割り人形を抱きしめる。

 

バレエ作品紹介 18
リーズの結婚

地方の農家を舞台にしたコメディタッチのバレエ。リーズを金持ちだが頭の弱いアランに嫁がせようとする母親と、リーズと恋人コラスの駆け引き。

ドーベルヴァル版(1789) オメール版(1828) アシュトン版(1960)
*( )内の数字は初演年

 別名を「ラ・フィユ・マル・ガルデ」「無益な用心」
ボルドーの振付師ジャン・ドーベルヴァルが、あるとき偶然ガラス屋のウィンドーに飾ってあった版画に着想を得て作ったバレエ。
1789年ボルドー初演の2幕3場のバレエのタイトルは『藁のバレエ、または運、不運は紙一重』だった。音楽は民謡や俗謡のメロディを編曲したものだった。
編曲者は不明。
オメールがパリ・オペラ座で上演する際に新たにフェルディナン・エロルドに編・作曲を依頼した。
ドーベルヴァルはもともと、パリ・オペラ座のドミ・キャラクテールの踊り手だったので人物の肉付けがうまく、コミックのセンスに恵まれていて、バレエは非常な成功を収めた。1791年、ロンドンのパンテオン劇場で振付師自身の手で上演され、初めて『ラ・フィユ・マル・ガルデ』と名付けられる。
その後もいろいろ形を変えながらも現在まで残っている。
近代の改訂では1960年のロイヤル・バレエ団のためのフレデリック・アシュトン版がもっとも有名。

〜内容〜
舞台は地方の農家。
富裕な未亡人シモーヌの娘リーズは農夫のコラスと愛し合っているが、母親は娘をブドウ園のトマの息子、少々頭の弱いアランに嫁がせようと思っている。困ったコラスは閉じこめられているリーズのもとへ、麦の束に隠れて忍び込みついにはシモーヌへ結婚を認めさせる。

 

バレエ作品紹介 19
火の鳥

ロシアの民話『火の鳥』を元に作られた。音楽はストラヴィンスキー。
魔王カスチェイの魔法の園にある黄金の林檎を食べに来る火の鳥を捕まえた王子。火の鳥に哀願され放してやると自分の羽根を置いていく。カスチェイにとらわれた王女達を救おうとした王子は妖怪達に捕まり、石に変えられそうになったが、貰った羽根を振ると火の鳥が現れて助けてくれた。カスチェイの魂のありかである巨大な卵を割ると魔法が解け、囚われの王女達も解放され、石にされた騎士達も蘇った。王子は王女の一人と結婚し大団円。

フォーキン版(1910) バランシン版(1949)
ベジャール版(1970) ノイマイヤー版(1970)

*( )内の数字は初演年

この作品はディアギレフ率いるロシア・バレエ団の第2回のパリ公演でメインになった作品。振付はミハイル・フォーキン、音楽はストラヴィンスキー、美術はレオン・バクスト、アレクサンドル・ゴロヴィン。
『春の祭典』と並ぶロシア・バレエ団の代表作。
物語はロシアの民話「火の鳥」を元にしている。このバレエ化を企画したのはディアギレフであった。音楽は始めはリャードフに依頼していたが捗らない事を知るとストラヴィンスキーに依頼した。この時、彼はまだ無名の新進作曲家に過ぎなかったが、ディアギレフは彼の才能をいち早く嗅ぎつけていたのだった。そして、パリ公演の成功とともに、ストラヴィンスキーが天才的な音楽家としての第一歩を刻んだ記念碑的作品ともされる。
1949年初演のバランシン版の美術はマルク・シャガール。
内容は版によって独自性を持つ。ベジャール版は圧制者を相手に闘うパルチザンの物語に、ノイマイヤー版はサイエンス・フィクション仕立てになっている。

〜内容〜
魔王カスチェイが住む魔法の園には黄金の林檎がなる銀の木が立っている。
そこへ半身は鳥、半身は女という火の鳥が黄金の林檎を食べにやってくる。
イワン王子が木陰から飛び出して火の鳥を捕まえると、火の鳥が放してくれるように哀願し、王子が放すと代わりに宝石を散りばめた羽根を置いていく。
城門が開かれて13人の王女達が出てくる。
彼女たちが黄金の林檎を落として遊んでいるのを隠れて眺めていた王子は一番美しい王女に魅入られ名乗り出る。王女達はカスチェイの魔法で閉じこめられている身の上を語り、王子は救い出すことを誓う。
夜が明けて囚われのみに戻る王女達。その場に残った王子は妖怪達に見つかり捕らえられてカスチェイの元に連れて行かれる。王女達の取りなしも聞かれず石に変えられそうになった王子は火の鳥との約束を思い出し、羽根を振ると、火の鳥がやってきてカスチェイと妖怪達をなぎ倒し眠らせてしまう。
王子は火の鳥に教えられて魔王カスチェイの魂のありかである巨大な怪鳥の卵を割ると、カスチェイは死に、魔法は解けて囚われの王女達も自由の身となり、石にされていた騎士達も息を吹き返す。
最後は王子と王女の結婚を祝うコラールで幕。

 

バレエ作品紹介 20
シェエラザード

『千夜一夜物語』に触発されてリームスキー=コルサコーフが作曲した交響組曲『シェエラザード』を使った一幕物のバレエ。
スルタンの留守に奴隷と官能に溺れる愛妾ゾベイダ。裏切りを知り、帰還したスルタンはその場にいた男女を全て殺してしまう。

フォーキン版 振付 ミハイル・フォーキン
       音楽 リームスキー=コルサコーフ
       台本 アレクサンドル・ブノワ
       衣装・装置 レオン・バクスト
       初演 ディアギレフ・ロシア・バレエ団
       (イーダ・ルビンシテーイン、ワスラフ・ニジンスキー
        アレクセイ・ブルガーノフ、エンリコ・チェゲッティ)
       パリ・オペラ座  1910年6月4日
バランシン版 振付 ジョージ・バランシン
       音楽 モーリス・ラヴェル
       初演 ニューヨーク・シティ・バレエ  1975年

リームスキー=コルサコーフは音楽家を志していた(が、その才能は認められなかった)ディアギレフの師であり、ストラヴィンスキーの師でもあった。
音楽の構成は4楽章で楽章毎にそれぞれタイトルがつけられているが、それとは無関係にバレエの方は『千夜一夜物語』の冒頭の部分をもとにしている。
フォーキンの振り付けたこの作品のエキゾティシズムとエロティシズムはパリで大好評を博し、バクストによる色鮮やかな衣装と装置はオリエンタル・ファッションの流行のもとにもなった。
ニジンスキーはこのとき、”金の奴隷”を踊っている。
バランシン版はフォーキン版とはまったく関係なく、ラヴェルの音楽を元に同名の作品を創った。

〜内容〜
アラビアのハーレム。スルタンの留守に愛妾ゾベイダは閉じこめられている黒人奴隷達を部屋から出し、男女入り乱れての官能的な狂宴を繰り広げる。
ゾベイダのお気に入りは金の衣装をまとった奴隷であった。
狂宴が絶頂に達したとき、シャリアールが突然帰還する。
彼は告げ口を受けてゾベイダのことを疑っていたのだった。
シャリアールは家来たちに命じてその場にいた男女を一人残らずその場で殺させてしまう。ゾベイダは短剣で自殺し、スルタンの足下で息絶える。

 ★【バレエ紹介に関することわりがき】に参考文献等を載せています。


文責:天野章生 作成日:1999/9/14 最終更新:2000/2/19

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