最終更新:2000/9/7

File No. 4-1 研究テーマ
『伊勢まほろば語〜安田博子バレエ研究所訪問記〜』

伊勢まほろば語を訪ねて

〜はじめに〜

萩尾望都さんのバレエマンガの研究を始めてしばらく。
作品を読めば読むほど作中のオリジナルバレエにも
萩尾さんならではの魅力を感じ
“こういうのは実際にバレエ化されないものなんだろうか”
などと漠然と思っていたのだが
実は以前にあったのだ、萩尾望都脚本のバレエが!!

そのタイトルは『伊勢まほろば語(かたり)』

1995年2月26日、
安田博子バレエ研究所の定期発表会で上演されたバレエである。
場所は伊勢市観光文化会館。
脚本はおろか、衣装デザインなども萩尾さんだという。

うわあ、なんということ!!
どんなバレエだったんだろう??
残されたビデオでもいい、なんとか見たいもの、
という思いは募り、
天野と室長・小西はついにそのバレエを作成された
安田博子バレエ研究所を訪ねることになった。
2000年1月18日のことである。
ここに、その時のレポートをまとめておきたい。

 

第一部:『伊勢まほろば語(かたり)』が生まれるまで

お二人の出会いは、スイスのローザンヌ・バレエ・コンクール

 そもそも、安田さんと萩尾さんのおつき合いのきっかけもバレエであったそうだ。
1980年代半ば、単身ローザンヌ・バレエ・コンクールを見に行った安田さんは、やはり同じように単身でいらしていた萩尾さんに声をかけられた。すぐに意気投合し、その地で行動を共にした。後に萩尾さんが言うにはその時「ひとりで来てる人を探しておったんよ」とのこと。旅慣れた様子の萩尾さんと同行するのは何かと心強くもあり、話も気も最初から合った。名乗り合ったが、漫画を読まない自分にはまったく分からずにいて、一緒になった他のバレエの先生に”少女漫画家の方”だと教わった。帰ってから生徒達に同行したことを話すと”すごく有名な漫画家”と言われ、知り合いになった、と言っても信じてくれないくらいだったそうだ。
 そしてその出会いから現在に至るまで、機会が合えば一緒にバレエを見たり、東京に行く時に会って一緒に美術館などを回ったりする良き友人になった。

 そうしてバレエ研究所の第14回定期発表会。少し大がかりなモノにしたいという思いと、伊勢神宮にちなんだ物語のバレエを創りたいというかねてよりの思いが膨らみ、友人である萩尾さんに原作脚本の依頼をすることになった。
話を聞いた萩尾さんは長年の友人の依頼を快く引き受けて下さったのだった。


最初の脚本では、上演時間は数時間!?

 安田博子バレエ研究所は三重県伊勢市にあり、安田さんも伊勢神宮にちなんだ物語をバレエにしてみたいというのが念願だった。ちょうど、明和町の記念事業の為に萩尾さんは『斎王夢語』という戯曲も仕上げておられた後で、取材や資料読みなども既にされていた為、バレエの原作を、との依頼も引き受けられたのだ。
 しかし、内容は戯曲とはまた異なっており、ヤマト姫の国求ぎをメインにした第一幕と、壬申の乱を史実を参考にしつつアレンジした第二幕から成っている。
 最初に仕上がった脚本ではバレエにすると5〜6時間はゆうにかかる内容だったという。ダンサーであり振付も手伝っておられる息子の孝さんも含めて3人で何度も打ち合わせを重ね、なんとか約2時間の長さに出来るように詰めて貰った。一口に詰めるといってもそれは大変な作業で、多忙な萩尾さんの為に安田さんサイドの方からアイデアを出すことも。そして、萩尾さんはそれに応えて何度も書き直された。 

 そうやって出来上がった脚本の役に合わせて萩尾さんは衣装デザインや舞台イメージ画を描かれていった。それも一つ一つの小物デザインも全てお一人での仕事、膨大な量である。
 一方、安田さんはまず、音楽の編集にとりかかられたそうだ。
 曲はオリジナルというわけにいかず、たくさんの曲をいろいろ聴いて(クラシックはもうイヤ、という程聴かれたとのこと)場面に合う部分を探し、それを専門の業者さんに頼んで編集して貰った。曲の切れ目やフェードアウト・インにともかく苦労した、というお話の通り、場面に合った音楽は細心の注意が払われた出来だった。
 曲が大体出来上がったところで振付。振付の為に曲を見直したりするわけなので、これがまた大変な作業。
 主役級のゲストのスケジュールが詰まっていた為に、その人だけの為に都内に出向き、別個に振り付けることもあったのだそう。
 萩尾さんデザインの衣装の方は、さすがに服飾専門学校で勉強をされていただけのことはあって、デザイン画を実際に衣装に仕上げてみると、踊りにくいということが殆どなかった。最初絵を見ただけでは奇抜でどんな風になるのか、と思われるものであってもちゃんと動きが計算されていたわけで、さすがとしかいえない。
 ただ一着だけ、螺旋状に生地が縫われるようなデザインがあったのだが、数学の先生に、数学的になんとかならないかと相談してみても「(そんな風に生地を裁断するのは)不可能でしょう」と。しかし、これも、衣装作成を担当したプロがデザイン画のイメージを損ねないように仕上げた。そんな苦労の甲斐があってどの衣装も小物も素晴らしい出来映えであった。
 舞台装置も萩尾さんのイメージ画に沿って作成され、演出効果を高める。
 照明担当も細かい打ち合わせを重ね、本番に備えた。

 原作・脚本、衣装デザイン、舞台デザイン萩尾望都、音楽編集・振付・演出・安田博子のバレエ『伊勢まほろば語』はこうしてたくさんのプロの苦心の末、出来上がったのだった。

 

第二部:図書の家研究員、胸躍らせてはるか三重県へ

萩尾さんの座った椅子にてお話を聞く

 安田博子バレエ研究所を訪ねた日、冬なのに暖かくさわやかな風が心地よい日であった。小西と天野は、これからお会いする安田さんが駅まで迎えに来て下さるのを、胸を踊らせてそわそわと待っていた。お正月も過ぎ、観光客も少ないので待ってるのは我々だけである。特に目印がなくともすぐに分かる、と言われた訳に納得しつつもやはり落ち着かない。
と、そこへ、一台の車が乗り付けた。
 降りていらした二人こそ、安田さんと、一番弟子のダンサーであり、助手をされておられる由佳さんであった。お二人とも小柄で細くて、動きが美しいので見間違いようもない。
 こちらの無理なお願いに、時間を割いてくださったばかりか迎えまで、と私達はさかんに恐縮しつつ、聞きたいお話や見せていただきたいモノが山ほどあり、車の中で既に舞い上がっていた。ちゃんと挨拶出来ていたのか、今となっては心許ない。
 研究所につくと早速2階の居間に通された。そこには息子の孝さんも待っていてくださり、なんと3人からお話が伺えるのだ!!いいのだろうか〜〜??こんな待遇。
 その時点でまた更に舞い上がる我々・・しかし、ともかく落ち着いて目的を果たさねば。
時間も限られているのだから。

 ダイニングの椅子を勧められ座ると、安田さんが気さくな様子で、「うちはどんなお客が来てもここにお通しするんですよ、その椅子には萩尾さんもお座りになった」と何気ない調子でおっしゃったりする。
 うわ。この椅子に萩尾さんが!?え?え?どっち??と我々は顔を見合わせた。
 思わず椅子をぎゅっと握ったりする・・
 ああ、この椅子にいつか萩尾さんが座ったことがあるんだ・・・・。

 安田さんたちは我々の為にコーヒーを挽いて下さりながら、次々と落ちつきなく質問を繰り出すのに応えて下さった。
 それにしても3人とも無駄な肉がない。
 立ち姿に見ほれつつ感心してしまう。漂わせる雰囲気からして何か違う。
 その合間に小西が、自分と萩尾マンガとの出会い、そして現在に至るまでのファンとしての思いを吐露する。
 「萩尾さんのおっかけなんです。あ、つまり出版物で萩尾さんが何か書いてる、と聞けば全て集めようとするんです」と小西が言うと、「幸せな方やね、萩尾先生も」と嬉しそうに笑われた。常々、安田さんは萩尾さんに「もっと自分を宣伝したらいいのに」と歯がゆく思っておられたのだそうだ。そして、名声や利益といったものに殆ど欲がない方だ、と安田さんはおっしゃった。思わず強く頷いてしまう。
 萩尾さんは本当にマンガが好きで、描くことがお好きなだけなんだ・・・と・・・。ここでまた、長年のご友人の言葉からも再確認出来て、萩尾さんの人柄に改めて感じ入ったのだった。
 安田さんの話し方は柔らかな関西弁で、北九州出身の萩尾さんがTVに出られた時の感じに少し似ておられる。気取りがなく、お話していると楽しくなる。明るく生き生きとした目がとても印象的だった。
 安田さんによれば萩尾さんと二人でしゃべっていると
 「まるで弥次喜多珍道中なんですよ」
 まるで漫才のようなやりとりになるんだそうだ。
 二人とものんびりしていてテンポが同じなんで・・と。
 一度お二人の後をつけてお話聞いてみたいですね、とつい天野はストーカーのような恐ろしいことを言ってしまう。
 美術館など回ると、萩尾さんが一つ一つの絵の解説をして下さったり・・
 「お陰で少し賢くなりました」と笑いながらおっしゃった。
 (ああ、一緒に解説を聴いてみたい!)
 年齢は安田さんの方が萩尾さんより10才ほど上、「だけど向こうの方がお姉さんです、しっかりしていて」。そして、萩尾さんは安田さんと会ったりお話してると「元気になる」とよくおっしゃるんだそう。それにはお話を聞いていてとても納得がいった。


「美しいモノや世界に憧れる気持が共通なんです」

 「萩尾先生はバレエだけでなく美しいモノや世界に憧れる気持が強くて、自分もそうで・・そういう気持がいっしょなんです。だから気が合うんやね。」
と語る安田さん。何度も頷いてしまった。
 見せて頂いたビデオの中で広がっていくバレエは、お二人の目指す方向性が同じであるからこそ生み出された美しく素晴らしいものだった。
 こういうバレエが創りたい、という思いは長年の信頼関係に裏打ちされて完成にたどり着いたのだと思う。おそらくお二人の感性がとても近いところにあるから、バレエを創るという大変な作業がうまく結実したのだろうね、と帰る道々小西と天野は語り合った。
 バレエは瞬間の芸術である。だから本当はその生の舞台を見てこそ、のモノだ。
 ビデオは大変よく撮られていたけれど、安田さんも由佳さんも時々「ああ、このカットは・・・もっと引いて全体を映さないといけないのに・・」と悔しそうな様子だった。
そう、どうしてもビデオでは残しきれないものがあるのだ。
 かのイサドラ・ダンカンはそれを嫌っていっさいの画像を残さなかったと聞く。
 しかし、例え生の舞台までとはいかなくても、やはりビデオで見せて頂けて、本番を見られなかった我々には幸運であったとしみじみ感謝したい。

 バレエが出来上がるまでの苦労談の他に、舞台の最中、ホントは哀しみに沈む場面なのにダンサーの一人が自分の顔にいたずらして由佳さんを笑わせようとした話なども裏話として楽しく聞かせて頂いた。孝さんには、萩尾作品に出てくるバレエで、天野が調べても分からない部分をお見せして質問し、いろいろ答えて頂いた。その答えはさすが本職、という感じで、調べきれなかったことが一挙に解決した部分もある。それは
資料ページの方に反映させて頂いた。(本当にその節はありがとうございました!!)

 あれやこれやで、何時間もお3人に時間を頂き、本当に感謝に堪えない。
 しかも、このサイトに訪問記を載せることもご快諾頂いた。
 『伊勢まほろば語』は、いずれまたご自分の教室の生徒さんの成長を待って、是非再演したいと思っていらっしゃるとのこと。今度こそ、生で見せて頂きたいと、我々も再演を切に希望している。


本当に、我々の訪問に対して暖かく迎えて貴重な資料を見せて下さり、
かつ興味深いお話を聞かせて下さり、有り難うございました!!
安田博子様・孝様・小林由佳様


文責:天野章生 / 作成日:2000/8/9

《図書の家より皆様にお願い》

安田博子バレエ研究所訪問記は安田さんのご厚意によって実現しました。
このサイトに記載することも許可を得ていますが、このことにより先方に
なんらかのご迷惑がかからないことを切に希望します。
バレエ「伊勢まほろば語」のビデオ、パンフレットの販売は行っておられません。
もっと詳細を、と希望される場合は当サイトにお問い合わせ頂ければ幸いです。

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三重県明和町/王朝ロマンフェスタ「斎王夢語」紹介

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