File
No. 05 研究テーマ
枠線と絵と萩尾ワールド!「バレエ・パレット・ロマン」シリーズ再読
クールに淡々と踊り続ける登場人物。
これはほんとにバレエ漫画なのか? 今回、萩尾望都・作による一連の「バレエ・パレット・ロマン」シリーズを一気に再読しました。さすが萩尾望都、音も動きも封じられた紙の表現でありながら、生の迫力に満ちた美しいシーンが目白押しです。ぐいぐいぐいぐい引き込まれる私。ああ、面白かった。・・・・あ、完結してる場合じゃなかった。 |
バレエだからこそ、ロマンチック。
萩尾マジックの理由を見つけた!? じゃ、登場人物は別にバレエやってなくても物語は成立するんでは?いやいや、やっぱりこれらの作品群はバレエでなくてはアカンのです。バレエをたとえば絵や音楽に置き換えても、物語はそのテーマを変えずに進むかもしれない、だがしかし、バレエだったからこそ、ロマンなのです。他のものではこうまでロマン度は出せなかったでしょう。バレエだったからこそ、ロマンチック。うんうん、納得。 またも再読。今度は極力自分を押さえて、冷静にページを細かに読み込む。ああ、やっぱむっちゃ綺麗、バレエのシーン・・・あ、危ない。また、ただ一気読みして終わってしまうとこだった。いやもう、どうでもよくないか?細かいことは。そう言いたくなるほど、『フラワー・フェスティバル』のコミックス冒頭のカラーは綺麗。美しいバレリーナが手に手に花を持って群舞している見開きの美麗なことといったら、私ごときのへりくつなんか軽く駆逐するほど有無を言わさず。ページをめくれば同じ色合いの一枚絵で主人公のみどりは踊っている。
枠線無しの一枚絵に添えられたネームが何より私の気持ちを代弁する。ほんっとーに、ピアノの音も、音の色も、花のかおりも、私は感じとっている。枠線無し・・・お?枠線無し?? |
現実とイメージの世界を
分かつ境界線。 というようなことを総括すると。この萩尾バレエシリーズにおける枠線は、現実とイメージの世界を分かつ境界線。ドロドロぐちゃぐちゃに交錯する人間関係の物語の中にあって同じ時間軸にあるはずの「バレエ」は、あくまでロマンチックにその美しさを保ち続け、物語のメインである現実のドロドロは少しも混ざり込まない。音も動きも実際には封じられている漫画という表現の限界を超えて、ダンサーは流麗な音楽にのって羽根のように軽やかに飛び回る。ネームはけして押しつけがましくその動きを説明することはしない。動きは音楽は香りは、すべて絵の中に。実際の舞台を追うごとく、流れていく時間やその場の空気さえも、あますところなく感じられるのは、この枠線の効果でもあったのだ。 … この項修了 …
|
文:岸田志野/最終更新日:1999.9.7